担当授業(詳しい内容は、毎年更新されるシラバスをご覧ください)
京都教育大学における神代の担当授業は、学部では道徳教育関連が1つと教育史関連が3つ、また大学院で教育史関連が2つです。授業に関する質問は、授業の前後、または事前に連絡のうえ研究室で承るほか、ツイッター上でも受け付けます(ただし回答はウェブ上では原則行いません)。以下、授業の簡単なご紹介です。
主として1回生を対象に、教育の理念と歴史的変遷について講義します。
理念とは、平たく言えば、教育とはどのようであるべきかという根本的な原理を意味します。理念は、ときに現実離れした空想のように思われがちですが、実のところそれは、教育の現実を吟味する重要な尺度であり、現実が進んでいくべき道筋を照らすものです。
またそのような理念を理解しようとするなら、歴史的な視座が欠かせません。理念は、歴史のなかで鍛え上げられ現在にいたるからです。授業では古代ギリシャに始まり、ヨーロッパを経て、現代の日本にいたる理念の歴史、理念と現実の往還の歴史を講義します。
教育学専攻の専門科目です。
教員養成において教育の歴史を学ぶ意義とは、なんでしょうか。
この疑問にはたくさんの回答が考えられますが、すくなくとも神代は、わたしたちが知らず知らずのうちに拠って立つ教育の概念、教育のイメージを豊かにすることが、教育史を学ぶ意義の一つだと考えています。硬直した教育観からは、硬直した実践や制度しか生まれてきません。過去、例えば日本という国のなかで、どのような教育が構想され、それがどのような変遷をたどって今にいたるのか、それを理解することによってわたしたちは、自身がいかに狭量な教育観に囚われているかを自覚し、来るべき教育を考える自由を手にします。教育史は、わたしたち(の教育観)を、豊かで自由なものにするのです。
授業は、講義形式で行います。ですが、専門科目の少人数を生かして、出来る限り活発な議論ができるような授業運営を目指します。歴史の知識は問いません。
教育学専攻の専門科目です。
基本的なスタンスは日本教育史と同じですが、こちらは西洋を対象とした教育史を講義します。とくに重要になってくるのが、明治以降日本の教育の歴史につねに影響を与え続けてきた西洋の教育思想です。古代ギリシャの哲人たちに始まり、中世や近世、近代の教育思想家たちは、人の育ちや教育をどのように考えたのでしょうか。そして彼らの思想を起点にしたとき、わたしたちの人間形成についての考え方は、いまどのあたりにあるのでしょうか。彼らを超えてよりよい教育を構想できているか、それとも、未だ彼らの後を追う存在に過ぎないのか。歴史上の大思想家の胸をかりて、わたしたち自身の教育観を鍛え上げていきたいと思います。
授業は講義形式になります。しかしできる限りディスカッションを取り入れたいと思っています。意欲的な参加者を期待します。
大学院教育学研究科の授業です。
この授業では日本の教育の歴史を、特定のテーマに沿って検討することを主眼としています。体系的に日本教育史を学ぶというよりは、テーマに沿った深い探求を目指します。
2018年度のテーマは「アジア・太平洋戦争後の日本の教育と教育学」です。近年、教育史関係の学会等では、戦後日本の教育史を改めて描くことを課題とした研究が隆盛しつつあります。この授業ではそれらについて概説しつつ、さらに踏み込んだテーマとして、戦後教育学の歴史にも触れます。あらゆるものには歴史があり、それは教育「学」も例外ではありません。戦後に積み上げられてきた先人たちの教育学の可能性と限界について検討します。
授業は講義形式を基本としています。ただし、参加者により深い事柄の理解を促すため、講義の合間に文献の講読発表を織り交ぜることがあります。発表は強制ではありませんが、強く推奨しています。
大学院教育学研究科の授業です。
この授業では、歴史的に積み重ねられてきた日本の教師たちの教育実践を素材に、子ども理解や集団形成の思想と技術について考察します。
2017年度は、教育におけるケア、教師―子ども関係の質、能力、生活、学級の公共性などを議論できればと思います。
授業は講義形式とディスカッションを交互に実施します。
大学院教育学研究科の授業です。
この授業では、一貫した共通テーマを踏まえて、参加者が関連文献を講読していくことがメインになります。
2018年度のテーマは未定ですが、前期の「教育史特論」を踏まえつつ、戦後日本の教育学の基本文献をいくつか候補にあげ、受講者と相談しながら課題図書を選定します。いずれにしても、教育学の古典と呼びうる諸著作を、一文一文の意味を正確に読み解きます。時間をゆったりとつかって、自分自身で難解な教育学の著作を読む力をつけることが目標です。