第4回の平和教育授業研究会(ペグ)の様子

テーマ:子どもと教師のエンパワメント(能力感を高める)


実施日時2002年3月9日(土)午後2時から5時
実施場所:大学院棟4階 G2教室
第4回ペグの内容

(1)参加者の自己紹介
 ○アイスブレイキングを使用
   @握手
   A沈黙並び替えゲーム「自宅からこの教室までの時間」
   B自己紹介。a)今年の希望 b)今日の会に期待すること。
 ○「部屋の四隅」: はい いいえ わからない どちらともいえない
   3月は好きである
   自分はカッとなりやすい性格である
   幼い子どもはたたいてでも、躾なくてはならないときがある
   学校内で今までに暴力行為を見たことがある
   学校で体罰は必要な場合もあり、条件付きの体罰賛成である。

(2)身近な平和問題の解決に向け子どもの能力感を広げる方法
    平和な社会を目指すために、子どもに身近で興味のある題材でこども主体の学習方法を学びます。
 ○回し読み
   教材:池田香代子再話『世界がもし100人の村だったら』マガジンハウス、2001年
     「もしもたくさんのわたし・たちがこの村を愛することを知ったならまだ間にあいます
       人々を引き裂いている非道な力からこの村を救えます きっと」
   参考文献:吉田浩『日本村100人の仲間たち』日本文芸社、2002年
 ○ブレインストーミング:「エンパワメントとは何か、方法は?」
      エンパワメントとは地球市民としての自覚を持たせる。
      参考:エンパワメントの方法
 ○アクション   能力感をもたせる。自分たちでできることは何か?
     配布プリント「アクション」(開発教育協議会 Talk for peace 2001年)

 ○配布資料:村上登司文『子どもに平和を教えよう』2002年
           学生の「葉書書きレポート」(参考:「葉書宛先の集計」PEG3で使用)
参考文献:
  アウシュヴィッツ平和博物館『勇気ある人々の肖像展』2001年
堤佳辰『ノーベル平和賞』河合出版、1990年
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休憩
(3)懇談:平和教育について情報交換と実践交流

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(4)暴力への対応
世界の平和(昔の戦争、外国のテロや紛争)も大切であるが、身近な暴力への対応を考える。
  アメリカの平和教育

(その1)CAP (Children Assault Prevention)の紹介
  暴力への子どもによる対応
   権利意識→子どもの権利:安心、自身、自由
  対応→NO・・・いやだと言おう
      GO・・・その場を離れよう
      TELL・・・ 誰かに相談しよう

(その2)暴言する子どもの心と、対応する教師の不安を実感し、言葉の暴力への対処方法を学ぶ
  いじめの件数や不登校の増加率も下がってきましたが、校内暴力や対教師暴力は増加している。
 ○活動(エクササイズ)
  1)パーソナルスペースの認識
  2)子どもに対する立ち方(L字型立ち方)
  3)言葉以外のコミュニケーショ:声の調子、大きさ、抑揚
  4)ロールプレイ
      @ 教師役:生徒への指示を考える 生徒役:質問(情報と挑発)
      A 教師役:生徒への指示を考える 生徒役:いかなる状況でも指示に従わない

(5)まとめ
  今日の研究会を振り返って
            第4回ペグ参加者の感想

参考となるリンク先
  京都こどもの虐待防止研究会:CAP (Children Assault Prevention)

「エンパワメントとは何か、方法は?」(ペグ4参加者の意見より)

何か:
  みんなの力が必要、一人の力も欠けてはいけない自覚。
  自分の国でも起こりうるという認識。
  自分も影響を及ぼせる、何かできるという意識。
方法:
  社会に働きかける方法を教え気づかせる。
  当事者意識を持てる題材・方法を与える。
  現状(恵まれている)を丁寧に教える。
  何が問題かの視点をはっきりさせる。


エンパワメントの方法
(『子どもに平和を教えよう』より引用)

○エンパワメントを
平和な社会を形成することに、子どもが参加しようとする気持ちを育てることが必要といえよう。核軍縮、南北間格差、環境破壊など大きな問題に対面する時、子どもは自分は何もできないという無力感に陥り、意欲はなくなり(凍え)心理的にかじかむ(numbing)。平和への課題が子どもにとってあまりにも大きいので、えてして課題からの逃避や無視、解決への無力感に陥りやすい。子ども達にそうした大きな課題に取り組ませるにはエンパワーメント(能力感を広げること)が必要である。

○「支援」の教育方法を
 世界各地の子ども達は、下記のような恐怖を持っている。
インドのカルカッタの子どもは、食べ物もなく学校へも行けず一家で物乞いをしなければならない恐怖。
バングラディッシュの農村の子ども達は、サイクロンで人も家も押し流されてしまった恐怖。
カンボジアやアフガニスタン難民の少女は、両親も殺されてひとりぽっちの孤児になった恐怖。
ベトナムの子ども達は戦争について聞かされた恐怖。
日本のヒロシマの子どもとデンマークの子どもは、核戦争への恐怖。
キリバス、モルジブの子どもは地球温暖化で海面が上昇し、住む場所がなくなってしまう恐怖。

子どもが、他の国の同じ年齢の子どもの恐怖を知ることは、身近な問題と感じ、子ども同士の連帯感を持つかもしれない。子ども達にとって解決困難な大きな問題に向き合うためには、子どもに対して「支援」することが必要とされている。「支援のための平和教育」の方法としては次のものがある。
@参加型の学習方法により、参加の体験を持たせ、子どもに参加の喜びや楽しさを味わせ、集団成員間に連帯感を育てる。
A平和に貢献した人々(例えばノーベル平和賞受賞者など)の活動を伝える。
B平和の問題に現在取り組み活動している人々やグループについて教える。

○子ども参加の学習方法で
☆教え込まない方法で

 平和教育を進めるには、前提として教師間で自由に討論できること、自由に教材を選択できることが必要である。
 次に、平和問題を教えるには専門的技術がいる。教師は教職の専門家として、教材の内容のバランスを考え、自分の考えの教え込みを避けて中立的立場をとるなどの技術がいる。平和問題のとらえ方にはいろいろな視点があることを子どもに示し、子ども自身が考え自分の意見をまとめさせるように支援する。教師は自分の意見の押しつけでなく、子どもに考えるヒントを与え、子ども同士が議論することにより、自分の意見をまとめる力を身につけさせる。

☆一人ひとりの興味や関心を大切に
平和教育では、授業方法そのものが「平和的(peaceful)」でなくてはならないとの立場に立つ。子どもを権威主義的に上から画一的に教えるような一斉指導の方法では、一人ひとりを尊重しているとはいえない。大人数ではなくより少人数の子どもに対して、一人ひとりの興味や関心を大切にした教育方法で教える方が、個性を大事にできるという点でより平和的な教育方法といえよう。

○生活につながる平和問題を扱う
☆日常生活の中の平和問題

 暗記中心の受験準備教育のため、日本の子どもは想像性が低いといわれる。自分の周りのことだけに関心を持つ子どもに、平和問題に取り組む想像力を育てるには、どうすれば良いであろうか。それには、子どもの身近な所で、つまり日常の地域での中に生じる平和の問題への関心を高めることがある。

☆身近な暴力(暴力)について平和学習を
子ども達が生活する場所に生じる平和問題をホームルームなどで取り上げて、考え調べる平和教育を行う。自分が関わり合う現実世界の場で生じるクラス内のいじめなどを取り上げることが可能である。暴力の被害者への共感を育て、被害にあった友達を助ける。いじめは不正であることを共通認識になるよう、いじめを許さない友達同士の連帯感を育てる。

☆現在の戦争を考える
科学・技術の発展を受けて軍事技術も急速な進歩を見せている。兵器のハイテク化が進み、通信技術の革新があり、戦術も大幅に変わり、戦争の仕方の変革が起こっている。過去の戦争の学習が、現在多発している地域紛争や内戦の理解を助け、進行中の戦争を終了させ、戦争が起きる可能性を予防する学習に役立たなければならないといえよう。

○平和な社会を作る行動をうながそう
☆責任感の広がり
 日常の生活を営んでいる都市を、外国の核兵器が標的として照準をを合わせていることを想像することが、核兵器廃絶運動を進めるために、「核時代の想像力」として必要とされた。
貧困、開発、環境などの地球的課題を解決しなくてはならない21世紀の現在は、月から写した丸い地球の写真を見て、その地球に住んでいる「地球市民」としての自分を感じる想像力が必要とされている。
 地球市民とは、現在の経済、政治、軍事システムが世界各国の密接な相互関係で構築されており、貧困、開発、環境、軍縮などの問題は世界の人々が相互に協力しなければ解決できないことを認識し、そうした地球的課題を解決することへの責任感を持つことである。特に、日本人は豊かな先進国に生まれた国民の一人として、開発途上国の発展に貢献する責任があるという認識が必要である。

☆平和についてのアクション
 たとえ小さなことでも、一人ひとりが行動を始めることが変化を生み出すための第一歩である。ただし、子どもに大人の考えを押しつけることは避ける必要がある。子ども達と共に考え、下記のようなアクションを行うことが可能であろう(「一人でできること、みんなと一緒にできること」、開発教育協議会『Talk for Peace:もっと話そう! 平和を築くために私たちができること』2001年)う。

子どもが一人でできること:
   本やインターネットで情報を得る。
   写真展に行く、映画を見る。
   募金や署名をする。
   メッセージ入りの絵はがきを送る。
   ホームページを作成する。
   メッセージ性のある曲をかける。
   意志を視覚的に表す。
   新聞や雑誌に投稿する。
   意見書をマスメディアや議員などに送る。

みんなと一緒にできること:
   ホームルームで話題にする。
   授業の中で扱う(社会科で学習する。国語の授業で詩や作文で自分の思いを表現する。美術の授業で自分の思いを絵やポスターに表現する)。
   セミナーやワークショップを行う。
   学習会、写真展・映画の上映会。
   平和演奏会。
   学校内で講師(被爆者、有識者、議員など)を囲む会。
   フリーマーケット(募金の資金集め)を行う。
   平和博物館を見学する。

 

第4回ペグ参加者の感想

現実的な問題事例をもとに、参加型の平和教育方法について学ぶことができた。やはり一方的な講義などの方法でなくて、自分たちの発言や行動をもとに考えて学ぶということがいかに大切かが認識できました。実際にここで学んだ方法などを何かの授業で実践してみて、生徒達の反応を見てみたいと思いました。また、そのような機会があれば、ぜひ参加・見学してみたいですし、授業後の考察なども参加者でしてみたいです。
第4回ペグに参加して、大変有意義でした。前回までと同様、実際にワークショップを体験でき、期待通りで嬉しかったです。心理的な圧迫の体験では、おそらく日常生活でも気づかぬうちに感じているであろうことを意識的に感じることができ、これを実際に人と対するときに活かせればと思います。生徒・教師の立場を交互に、様々なキャラクターで演じる場面では、現場で起こる可能性のある状況が多く現れ、課題を浮きぼりにしてくれました。
ワークショップというものに初めて参加しました。初めての人に会うのは緊張するので、この手の会への参加はさけてきましたが、実際にやってみると楽しかったです。相手の立場になって見るというのは、とても新鮮で、 話し方や自分の考えを少し変えるだけで、相手に与える印象がかなり違うのだということも改めて気づきました。今すぐにどうしたらいいのかよくわからないけども、何も意識せずに過ごしていくよりは、自分自身中に何か変化があると思います。
 学校における平和教育では、戦争を学ぶあるいは、戦争について考える以前に、「一学校、一教室内に平和をどう築くか」「子どもの内面から平和を築き上げる」ということがやはりまず重要であると考えています 。
 こういった考えを持っているので、今日の研究会の始めに行った握手をしての自己紹介や、先生役・生徒役に分かれて行ったことは、人とのコミュニケーションをどうすればよいかを考える大きなヒントになりました。また、コミュニケーションをとるということは非常に大切なことであるということも再認識できたように思います。
 平和教育の可能性は、大変小さな所(レベル)から見直していけば、今後さらに広がりを見せるのではないかと感じています。今後も足元から平和教育を築くための方法を見直していきたいと思っています。
 今回初めて参加させていただきましたが、参加型のテーマがほとんどだったので、話題に入りやすかったです。特に後半の学校内暴力、子どもへの対応の部分では、距離の取り方や言葉の言い回し、立つ位置(L字形)などで雰囲気が変わる、と言うことを知ることができたのは大変勉強になりました。また、教師役と生徒役の両方を経験することで、違う立場から一つの問題を見ることができこのような点でもロールプレイは有効であると思いました。やはり、自分で体験することが(問題の種類にかかわらず)理解への第一歩だと感じます。
 現実の場面では、ゆっくり考えることもあまりないことを改めて考える機会になりました。感想でも述べたように自分の足りない部分がよくわかりました。中学校授業などではこのようなエクササイズをするときは、会話のおもしろさだけに注目してしまうことが多いので参加者の感想と交流できる時間があり、学生の方や若い人の意見が聞けて良かったと思います。
 平和教育を考えていくには様々なことが関連していることがわかりました。具体的には、ただ単に知識として戦争を教えていくだけでなく、教育内における暴力・家庭内における暴力など。さらに多くの教科において生徒と共に考えていける教育だということもわかりました。また、人間には気づかないうちに自分のパーソナルスペースというものがあることも実感しました。
 実際に教師−生徒という場面でのロールプレイは、やはり難しいものだと思いました。今回はまだ生徒役が先生役の言うことに対してなんらかの反応をしてくれていたから良かったものの、実際の場面では先生が何を言おうとも無視し続けることも考えられるから、そういうときの対応も念頭に置いておかなければなりません。教師が生徒と接すると言うことは、本当に難しいことなのだということを改めて実感しました。こういうかたちのロールプレイは普通の授業の中でも実践してみたらおもしろいのではないかと思います。

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