戦争についての教え方 |
1.戦争への立場 多くの国で戦争についての教育は、日本のように平和主義的な態度を形成しようとするものではありません。自国にとって肯定的に評価される「肯定的な戦争題材」が多くの国の歴史教育や軍事博物館で教え伝えられています。「肯定的な戦争題材」を教える社会的機能として、例えば次のものがあります。戦争記念式典や軍事博物館などで、国家のために戦争で命を捧げた人々を追悼する(記念する)ことには、戦争殉職者を顕彰する働きがあります。戦争殉職者の顕彰活動を通じて、国民の愛国心を育成して国家に対する帰属意識を高め、国防意識を養成することにつなげようとしています。 表3 戦争題材の分類
歴史教育で、自国が勝利した栄光ある戦争の歴史を知ることにより、その国の一員であるという自尊心(国民的自尊心)を満足させます。同時に「戦勝国」という同一化する対象を国民に提供することにより、ナショナリズムや民族主義を鼓舞します。つまり自国の戦争勝利体験を想起してそれに満足することを通じて、国民としての連帯意識を形成しようとします。日本国内を含めて世界各地にある軍事博物館の機能として、祖国を守り侵略を許さない「正義の戦争」の論を肯定する意識や態度を形成する働きがあります。
多くの国の戦争についての教育では、反対に否定的に評価される「否定的な戦争題材」が教えられることは少なく、「肯定的な戦争題材」について教えられることが多いです。戦争についての教育が行われるとき、肯定的な戦争題材か否定的な戦争題材かのどちらが教えられるかで、子どもが持つ戦争観が異なってきます。 戦争を絶対悪ととらえることが多い日本の国民性と、戦争を必ずしも絶対悪としない米英の国民性との違いが、平和教育の内容に違いをもたらしています。米英では正義と自由を守るためには武力行使が必要なときもある、との考えが広く国民に支持されるので、いかなる戦争にも反対する平和主義の考えに立つ反戦平和の教育は、米英の国民の広い支持を得られません。 それに対して悲惨な戦争体験と被爆体験を有する日本では、子どもたちに核兵器がもたらす脅威に着目させ、戦争を防止し平和な社会を形成する態度を育てることが求められてきました。日本では学校の内と外の教育において、「否定的な戦争題材」の教育が多くなされてきたことによって、戦争を絶対悪としてとらえる平和主義的な戦争観が多くの人々に支持されており、反戦的な平和意識が人々に形成されてきたといえましょう。 |
戦争についての教育では、ある戦争の題材について知識が教えられるだけでなく、イメージを伴ってその題材が教えられることが多いです。つまり特定の戦争題材が、集団的体験として教育の主体から客体に教え伝えられ、その知識と一緒にイメージが集団成員に共有されて、集合的記憶としての戦争記憶になります。そのプロセスは、「既に忘れられたはずのことを思い出し、記録し、自分が経験したかのように『記憶』する人々を増やす」ことといえます*1。 集合的記憶として集団成員に共有された戦争記憶は、次の段階で平和や戦争問題についての社会意識(集団的意識)に影響を及ぼしていきます。つまり、集団成員が過去の戦争についてどのような集合的記憶を持っているかが、その集団成員の平和意識に影響を及ぼしていると考えられます。それゆえ何を戦争題材として選択するかは、次の世代にどのような戦争記憶を形成し、いかなる社会意識を形作るかの見通しに基づいており、その選択には教育主体者(教師、国家、マスメディア)の意志が働いています。
一方で、集団成員が共有する戦争記憶に対しては、年月の経過により風化作用が働きます(忘却)。その風化に抵抗して、過去の戦争を記念する集団的作業が行われており、戦争についての教育は風化を防ぐ活動の一つといえます。また、集団が持つ戦争記憶に対して誇張、粉飾、抑圧、除去などの「集合的記憶の操作」が行われる場合があります。特に国家レベルで自国の戦争史を形作ろうとするとき、学校教育で扱う戦争題材を恣意的に選択して、国民の戦争記憶の操作が行われます。公的戦争記憶の形成には、教育主体者の立場の違いにより、公的戦争記憶の何を残し保持するかにおいて勢力争いが生じています。このような仕組みの下で、平和教育は公的戦争記憶の形成に深く関わってきました。
日本で教えられてきた否定的な戦争題材の内容には次のようなものが含まれています。家族・友人・知人との死別や離別、食糧不足と栄養失調死、戦闘・空襲による身体的障害と後遺症(放射能障害も含む)、精神的障害、家族離散、戦場の惨めさや残酷さ、不十分な医療、個人の夢や自己実現が不可能になること、空襲により動物園から危険な猛獣が逃げ出さないように事前に猛獣の処分(殺害)、残留兵器による事故(機雷、地雷、不発弾、毒ガス弾)、外地での抑留や引き揚げ、アジア諸国への侵略行為、労働者の強制連行などです。
*1 藤原帰一 2001『戦争を記憶する−広島・ホロコーストと現在』講談社現代新書、38頁。 |
日本の平和教育において、戦争被害が教えられてきた一方で、戦争加害が適切に教えられていない側面があり、戦争加害の教え方が今もって確立しているとはいえません。戦争被害については体験者からの証言を見聞きすることが多いが、戦争の加害については「語りたがらない」壁が立ちはだかっています。今の子どもたちの中に、日本が第二次世界大戦で行った戦争加害について詳しく知っているものは少ないです。 戦争加害や戦争責任の題材は自国イメージの形成と愛国心養成とに関わる題材なので、戦争の公的記憶のあり方として議論され、推進派と批判派の両勢力から政治的規制を受けてきました。自国中心主義的(エスノセントリック)な人々は、自国が犯した戦争加害についての歴史に言及することが、愛国心を傷つけるように作用するのではと心配します。日本軍による戦争加害を教科書に記載することに対しては、保守的ナショナリズムを志向する側から教科書の記述を減らすようにと規制が加えられてきました。 しかし、戦争加害の歴史的事実はいつまでも残るわけで、歴史教科書の中で史実を書くことが重要です。それにより子どもたち自身が自国を客観的に評価する学習機会を保障し、子どもたちの歴史をみる目をより公正なものにすることが可能となります。 記憶することこそ戦争を防ぐ第一歩だといわれます。これは、戦争の惨禍(被害)を知ることによって二度と過ちを繰り返さないというだけでなく、国家による間違い(他国の侵略や自国民への抑圧)を指摘し語る教育的自由は平和を守る道である、ということも意味しています。平和主体を育てる平和教育では、教育側の主張に沿った内容のみを取り上げて学ばさせようとするのではなく、学習者が平和問題を多面的に考察し、批判的に判断できる思考力を育てることが重要です。戦争の教え方としては、教える側の先入観を抑えてより正確に戦争の実態と展開を教えることが平和教育の基本といえます。 子どもたちが平和問題に対して、多面的見る視点、批判的に判断できる思考力を育て、異なる人々との相互理解や合意形成の力量を育てることが今後は重要となります。 |