研究室の考え方
京都教育大学教育史研究室は、教育を歴史的に考えるちからをつける場所です。教育の現在を読み解くには、その歴史的変遷を理解することが欠かせません。また、わたしたち自身が囚われている狭い教育観を解きほぐす(相対化)するには、歴史は一つの有力な方法です。わたしがみなさんに、教育の歴史を勧める所以です。
しかしこのように書くと、必ず躊躇される方がいます。曰く、「歴史は年号や人の名前、歴史的事件を暗記する科目だから苦手」「記憶力に自信がない」「つまらない」と。もちろん、年号や人の名前、歴史的事件の概要を覚えていれば、便利なことは言うまでもありません。しかし、それは本質的でも必須のことでもないのです。それらの知識は、教科書や辞書を引けばすぐに分かります。
それよりも重要なのは、物事を歴史的にみるちから、歴史を鑑にしながら、わたしたちの教育の現在をより良いものにしていくうえで、必要なものとそうでないもの、必然的なものと偶有的なもの(それでなくてもいいもの)を選り分けていくちからです。そのような営みを、〈批判〉といいます。
本研究室における教育史学とは、〈批判〉の学です。わたしたちの教育の過去と現在が含み持つ可能性と限界を見極め、その限界を超えるかたちで未来の教育を構想するのが、わたしとみなさんの課題です。
必要なもの
ですから、本研究室を志望するにあたっては、歴史の知識は必要ありません(高校で日本史をとっていないという人も歓迎します)。ただ一つの条件は、「自分の頭で考えるという強い意志」を持っていることだけです。考えるための知識や方法は、全力でサポートします。みなさんの来室をお待ちしています。
(敢えて賢かれ!)