3.平和教育の授業づくりの方法


(1)授業づくりに必要なもの  
  (2)授業を実施するプロセス  



 
 平和教育は特定の教科・領域でのみ行われるものではなく、学校の教育活動のあらゆる場面で行うことができます。ただ、学習指導要領に明記されていないために、どの教科・領域、どの単元で実施するのか、学校や個々の教師が計画していかなければなりません。
 例えば、
@小学校6年生の学級担任の場合、社会科の歴史学習で「戦争への歩み」をしっかり教えようと計画することができます。
A国語科の「ヒロシマのうた」という教材を扱うときに、戦争関係の本の紹介をしようと計画することもできます。
B修学旅行の目的地にちなんで原爆について調べ学習を計画したり、修学旅行の成果を発表する学習活動を計画したりすることができます。
それぞれは平和教育でなくとも、歴史では他の時代と同じ比重で扱う、国語では他の文学教材と同様に扱う、修学旅行では現地での活動だけで終わる、という学習のしかたでも何ら問題はありません。しかし、教師がそれらの学習活動に「平和教育」のねらいを意図すれば、それぞれ平和教育を展開していくことが可能になるのです。

 決められたカリキュラムや与えられた指導計画の通りに授業していくだけでは、平和教育を行わないままになってしまうかもしれませんが、教師が主体的に学校行事に取り組み、自主的に授業づくりに取り組めば、平和教育を実践していくことができます。
 
 同じ教材を使うときに、教科としての教材研究と、平和教育としての教材研究とは一致するところもあるし、一致しないところもあります。現在は「平和教育」という教科はありませんし、もちろん教科書もありません。時間割の中に「平和」という時間がある学校は、非常に少ないと思われます。
 そのため、小学校6年生を担任して平和教育を実践しようとしたら、自分でどこかに時間を設定しないとできません。例えば、国語だったら月曜日の何時間目とか、社会だったら火曜日の何時間目というように時間割を組みます。上に書いたように、平和教育に関しては時間割に平和という時間がありません。だから自分で「このときにやろう」「ここでやってみよう」というのを決めないと、多くの場合平和教育ができないということになります。
 平和教育は、決められたカリキュラムや与えられた指導計画の通りに授業していくだけでなく、自主的に授業づくりに取り組まなければ、実践できないのです。けれども、平和教育を行うには、いくつかの有効な手順がありますので、それを説明したいと思います。
 


(1)授業づくりに必要なもの

1)題材と教科・領域  
2)時間割の枠  
3)題材を選ぶときに
4)平和についての課題意識  
5)カレンダーの日付から  
6)学校管理職など周りの支援を得る

 
 平和教育をしようと思った時にどうすればよいのか考えていきましょう。

 1)題材と
  教科・領域
 
1)題材と教科・領域
 
 平和教育を計画するときに、どんな題材・教材をとりあげるとよいのでしょうか。いちばん取り組みやすいのは、教科書の内容として元から含まれているものの利用です。
 
国語の文学教材
 例えば、国語の文学教材には、「一つの花」、「ヒロシマのうた」など、いわゆる平和教材があります*1。「ちいちゃんのかげおくり」や「せかいいちうつくしいぼくの村」など、教科書に載っている平和教材が学習予定にあるときに、それを国語科の授業としてだけでなく、平和教育の授業としてもやっていこうという方法は、よく実践されています。
 
社会科
 小学校6年生の社会科では、日本の歴史を学習します。その中で「平和」について扱うことができます。歴史学習において、近現代史があまり教えられていないと指摘されることがしばしばあります。最初の縄文や弥生の頃は、子どもに興味をもたせようといろいろな資料を持ってきて楽しく授業する、戦国時代なども関心を持つ子が多くて時間をかけて授業する、などしていると、だんだん授業時間数が足りなくなってきて、歴史の最後の方は教科書をざっと読んで終わり、というふうになることが多いようです。それで日本の子どもたちは、明治以降特に日本が何度も戦争をしていた頃の歴史については詳しく勉強していないと言われます。平和教育としては、近現代史をきちんと教えないといけないので、参考資料を用意するなどして、戦争へと歩む歴史に重点をおいて授業します。

 このように、社会科の教科書の中に戦争の歴史という平和につながる内容があり、教科書の内容と関連させて行うのが一番やりやすい平和教育の実施の仕方です。
 
総合的な学習の時間
 2001年度から「総合的な学習の時間」が始まりました。この「総合」の時間は教科書がなく、教える内容はそれぞれの学校、教師に任されています。この「総合」の時間の活動を用いて平和学習をすることができます。この時間の特徴である教科横断的な学習や、幅広い表現活動の方法を平和学習にとりいれることで、多様な平和学習を展開することができます。

学校行事
 学校行事に関連して平和について学習することができます。修学旅行で広島、長崎、沖縄などに行く場合、修学旅行の目的に平和教育のねらいを盛り込みます。ただそこに行って観光してくるだけではなくて、現地でしっかり平和について学んでほしいというねらいをもち、行く前にしっかり平和学習することがあります。また、帰ってきてから、現地での体験を生かして報告会や発表会などで発信する学習を行うこともあります。

 地域にある平和に関する博物館や資料館に、学校から子どもたちを引率して見学してくるという活動は、社会見学という学校行事に位置づけられます。

 そのほかに、表現活動として平和に関する歌を歌う、平和に関する作品をつくるなど、音楽会や図工展、学習発表会などと呼ばれる芸術関係の行事で平和教育ができます。また、体育会や運動会で表現活動として平和をテーマにした組み体操をやったという実践例もあります。
 
投げ込み教材の利用
 「総合」の学習内容が学校であらかじめ定められていると、「総合」の時間に単独で平和教育を実施するのは難しくなります。また、行事の内容については、一人の教師の考えだけで決めることはできません。「総合」の時間や学校行事で平和教育を行うチャンスがなく、教科の内容にも平和に関わることがらがないときには、どうすれば平和教育が行えるのでしょうか。

 “投げ込み”という方法が使われることが、しばしばあります。教科書には出てこない教材を教師が自主開発して、単発の授業として行うものです。子どもたちの実態から考えて補充が必要だと思う時や、教師の思いから子どもたちに出合わせたいと思う作品がある時に、そうした方法を採る時があります。“投げ込み”は、教科に関連づけてする時もあれば、道徳の時間や学級活動の時間にする時もあります。

 例えば、自分が読んでよかったなと思う絵本や文学作品を教室に持ってきて、子どもたちに読み聞かせをしたり、プリントを配って一緒に読んだりして、感想を書かせたり、話し合いをさせたりします。平和アニメなどの視聴覚教材を用いることもあります*2

 テレビ番組や、新聞の1枚のニュース記事などから平和教育を行うことができます。平和に関する時事的な問題のニュースを取り上げることで、子どもたちの関心を高めることができます。
 
 このように、平和についてどんなことを教えたいか、子どもたちをどんなことに出合わせたいかということを、教師が意図して教材を“投げ込んで”いくと、平和教育を行うことができます。
 2)時間割の枠  
2)時間割の枠
 
 平和学習を行う時間割の枠の取り方として、教科や道徳の中で行う場合、「総合」で行う場合、行事など特別活動で行う場合があります。2001年度に「総合」の時間が設定されるまでは、教科内容に直接平和に関連するものがないときや、行事に平和に関する内容がないときには、教科内容や特活の内容と苦労して関連づけることもありました。社会などの教科の枠組みで行わなければならないという苦労がありましたが、現在は「総合」の時間のテーマに平和教育の内容を設定すれば、時間割について無理なく行うことができます。

 そのほかに道徳教育の中で人権の課題に取り組む学校は多くあります。人権教育の中で平和の題材を扱うことができますので、道徳の時間には平和教育を行うことができるということです。
 3)題材を選ぶ
  ときに
 
3)題材を選ぶときに
 
*教師がこだわりを持つもの
 何を選ぶかというのは、教師が何に「こだわり」(思い入れ)を持つかということです。例えば、高い空から顔の見えない住民に爆弾や焼夷弾を落とす空襲があります。戦争末期には日本の多くの都市が空襲の被害を受けました。それから広島、長崎の原爆による大きな被害があります。日本の戦争については、戦争被害だけではなく、日本の兵隊が海外において、中国大陸あるいは東南アジアでどんなことをしたのかということもあります。平和について、いろいろなこだわりを教師が持っていたら、そのこだわりを子どもに提示してみるという平和教育のやり方があります。
 
*子どもとつながるもの
 教師側の思いだけではなく、逆に子ども側が受け取りやすいのはどういうことだろうと考えたときに、子どもたちと空間的につながりやすい、時間的につながりやすい、それから心情的につながりやすいというように、三つの要素で考えられます。

 @空間的につながりやすいのは、いま住んでいるまちにも戦争があったという場合や、修学旅行で訪れたあのまちにも戦争があったという場合などです。A時間的につながりやすいのは、今、現実に起きていることを題材にすることです。また、過去の戦争でも、日付をきっかけに学習することで戦争を身近に感じることができます。B心情的につながりやすいのは、学習する子どもたちと年代が近い子どもの戦争体験や、子どもが感情移入しやすい動物を題材として戦争との関わりを見るなどです。

 上に述べた空間、時間、心情の三つの要素によって、子どもたちは戦争を身近に感じられるでしょう。自分のひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、あるいは地元でこんな戦争があった、などという取り上げ方や、自分たちが通っているこの学校は戦争のときこのように使われていた、というような身近な歴史の題材から戦争を考えることもできます。
 4)平和に
  ついての
  課題意識
 
 
 平和教育の授業をする教師自身が、平和問題について高い関心を持っておく必要があります。時事問題についてのアンテナを立てておかないといけないのです。これは政治的運動に参加するという意味ではありません。市民として社会に目を向ければ、いろいろなニュースに戦争のことが出てきます。リアルタイムに、どこかで紛争が起きている、戦いがあるというニュースを聞きますし、過去の戦争に関連するニュースを目にします。
 
 テレビのドキュメンタリー番組や特集番組、ドラマも教材になります。原爆の日や終戦記念日が続く8月頃や、12月の真珠湾攻撃の日などに、NHKなど各局では、さまざまな特集を組んで戦争に関する番組を放送することがよくあります。
 戦争に関する番組は、二つの意味で平和教育の題材になります。@ひとつは、貴重な資料として映像や体験者の語りを視聴できることです。すなわち、目と耳で戦争を感じることができるという意味で、平和教育のよい教材になります。Aもうひとつは現在の平和への取り組みが紹介されることです。こんな取り組みや活動をしている人たちがいるという紹介や、平和コンサートや追悼会や、被爆したピアノの演奏会や、遺族の方のお話を聞く会など、平和への取り組みをテレビから見ることができます。

 さらに、戦後70年が経過しても戦争に関連した番組が制作され続けていることにも意味があるでしょう。子どもたちからすれば身近なテレビで、時には身近なタレントが語ったり演じたりして戦争が描かれるのを目の当たりにすることで、戦争を身近に感じるでしょう。教師の立場で見れば、平和教育を行おうとする自分と同じように、戦争を伝え平和を訴えようとしている人たちが放送や報道の場に数多く存在することに心強さを感じるのではないでしょうか。
 
 【平和に関連する地元のニュース】
 新聞の地方版などで過去の戦争につながる話題が採り上げられることがあります。
 「火垂るの墓」に描かれている御影
(みかげ)公会堂という建物が今も神戸に残っています。作中にも「雑炊食べに行った」と言及される食堂がまだその地下にあるのですが、その食堂が新聞に載っていました。オムライスがおいしいとか、戦争当時の姿を見ることができるとか、当時のようすを語ってくれるシェフの方がいるなどということが書かれていました。戦争のことをニュースとして報道しているわけではありませんが、そういう町の話題をきっかけにして戦争当時の話につなげて平和教育を行うことができます。

 5)カレンダー
  の日付から
 
5)カレンダーの日付から

 時間的につながりやすい題材として、カレンダーの日付から平和教育を行うことがあります。投げ込みのミニ学習として行うことができます。単元の導入として日付を利用することもできます。

 【カレンダーを利用した平和教育の事例】      
教師: 5月3日は何の日でしょう。      
生徒: 憲法の日です。
教師: そうですね。憲法記念日です。1947年に憲法が施行されました。この日から日本国憲法を使うよという憲法記念日です。では6月23日は何の日でしょう。
生徒: 慰霊の日です。
教師: どこの慰霊の日でしょうか。全国ではなく。ある県だけの休日、祝日になっているのです。何県でしょう。
生徒: 沖縄です。
教師: そう、沖縄県です。沖縄では慰霊の日となっています。1945年に沖縄は地上戦の舞台となって、住民がとても大きな被害を受けました。4月1日に沖縄本島に米軍が上陸して、住民を巻き込んだ戦闘が続くのです。実際は6月23日には、戦いは終わっていないのですが、日本軍の責任者が自殺して、組織的な戦いができなくなった日ということで、この日は慰霊の日となっているのです。
  この日になるとNHKが沖縄の平和祈念式典を中継しますので、それを見て学習することができます。
  では12月8日は何の日でしょうか。
生徒: 真珠湾攻撃。
教師: はい、真珠湾攻撃です。アメリカとかイギリスとかを相手に戦争を始めた日です。
教師: 1931年の9月18日、これが分かる人はいませんか。
生徒: 満州事変です。
教師: そうです。柳条湖事件のあった日で、満州事変の始まりです。このあと、日本は「満州国」というのをつくり、国際的に孤立していくきっかけになった日です。
  では1937年7月7日は何でしょうか。ある事件の起きた日です。橋の名前がついています。教えてもらいましたね。
生徒: ……。盧溝橋……

教師: はい、盧溝橋事件です。北京の郊外に日本の軍隊がいて、夜間訓練をしていて、そこでトラブルが起きて、日中戦争が始まりました。当時は北支事変とか日支事変と言いました。7月7日というと、よく「七夕」と答えが返ってきますけれども、調べてみると分かります。日本が中国にいて、軍事訓練をしていたのがきっかけだった。あなたの家のすぐそばの河原によその国の軍隊がきて夜間に訓練していたら、あなたたちはどんな気分になりますか、考えてみましょう。

 6)学校管理職
  など周りの
  支援を得る
 
6)学校管理職など周りの支援を得る

平和教育は、教師が行おうと意図することで始まります。そして平和教育は、学校あるいは学年、学級で自由裁量できる範囲内での活動になります。その範囲がどれぐらい広くなるか、言い換えれば平和教育がどれだけ実施しやすくなるかは、学校管理職など職場の周りの人たちとの関係に左右されます。
 管理職が平和教育に好意的な人であったり、教員の自主性を尊重する人であれば、平和教育は実施しやすくなります。そうではない場合でも、なぜ平和教育が必要か、どんな教育的効果が期待できるかの説明をしっかりすることで、支援を得ることができます。平和教育については、特定の思想信条に基づく偏向教育をしているのではと疑問を持つ人もいるようです。議論の分かれている題材や問題に触れるときは、教育の中立性が問われることがあります。そうした疑問に答えて平和教育を実施するには、日頃の教育実践において、子ども・保護者・同僚教員の信頼を得ておく必要があります。ふだんから教師の考えを一方的に押しつけたり、他の考えを受け入れないような教育実践をしていたのでは、周りからの信頼は得られません。他者の意見に耳を傾けつつ、さまざまな考えをしなやかに受け入れながら実践を積み重ねていくことで、平和教育の実践が周囲の理解を得られるようになるでしょう。

 
*1 平成14年度版の小学校国語教科書に載った平和文学教材として、次のものがあります。
小学4年で「世界一美しいぼくの村」(小林豊)東京書籍、
同4年で一つの花(今西祐行)光村図書、教育出版、大阪図書、小学6年で「ヒロシマのうた」(今西祐行)東京書籍、
同6年で「川とノリオ」(いぬいとみこ)教育出版、日本書籍、大阪図書。

*2 広島市文化財団のHPに、平和教育に使えるビデオテープがまとめてあり、その中にいくつかのアニメが紹介さています。




(2)授業を実施するプロセス

1)授業の構想  
2)授業の具体案づくり  
3)授業の準備
4)授業実施において  
5)授業実施後に  
6)授業の評価

 1)授業の構想  
1)授業の構想
 
 平和教育の授業を考えるときに、まず何を教えたいか(教育内容)を考えることが大切です。そして「何を」だけでなく、「どう」教えるかについても併せて考えていく必要があります。これまで平和教育の実践について語るときには、何を教えたかを語ることが中心でした。平和教育も教育活動である以上、どう教えるか(教育方法)という問題が大切であるということは当然のことです。
 
「何を」教えたいか
 「何を」の中には被害の経験を教える、加害を教える、戦争に協力したことを教える、加担したことを教える、抵抗したことを教えるなど、いろいろなテーマがあります。

  原爆や空襲、沖縄戦や学童疎開など、被害体験を教える教材は数多くあります。それに対し、加害面を描く教材はあまりありません。戦争体験手記や体験談の多くが被害者の立場から語られていますし、戦場体験談も苦労話か手柄話がほとんどです。加害面に言及した教材は内容的にも表現的にも教えるのが難しいものがほとんどで、小さい学年で教えるのは困難です。戦争への協力、加担、抵抗も同様で、そのままつかえる教材はほとんどありませんので、教師が開発したりアレンジしたりする必要があります。

 また、いまの世界情勢など時事性のある問題を教材にするときには、どのメディアのどの情報を教材に取り上げるべきかをよく見きわめる必要があります。

 いずれにしても、自分の目の前にいる子どもたちに何が大事な情報かを考えて、「何を」というのを選びます。
 
「どう」教えたいか
 「どう」教えるか、と考えたときに、平和学習には子どもたちが受身的になる受動型のの平和学習と、主体的になる能動型の平和学習があります。ここでいう受動型とは、知識を教え込んだり体験を伝えたりする授業です。体験談や体験記、戦争を扱った作品を読ませたり聞かせたり視聴させたりする。その後に感想を書かせるか、感想を話し合わせて終了、という授業です。

 能動型は、そこにとどまらず、知ったり感じたりしたことをメッセージとしてだれかに伝える発信活動をしたり、壁新聞やポスターセッションなど、発表をしたりする学習活動です。美術作品や詩や演劇を創作するという活動も考えられます。

 これまで教育雑誌や書籍に掲載された実践や、さまざまな実践報告の会などで発表されてきた平和教育実践を見る限りにおいては、今までの平和教育というのは受動型に偏っていたのではないかという気がします。

 敗戦後の日本の平和教育は、あの悲惨な戦争を二度と起こさせないために、戦争を体験した教師が、体験していない子どもに、戦争の実相を伝えようとしたところから始まっています。そして、戦争体験を伝える(子ども側から見ると、伝えられる)ことは、戦争が遠い過去のことになり、体験者が減少した今だからこそ必要なことです。けれども、それだけではなくて、やはり子どもが主体になる活動が大事ではないかと思うのです。
 
 子どもに読んでもらいたいと思う作品や体験記を読ませる、あるいは資料とか写真を見せる、考えさせたいテーマを選んで調べさせる。例えば、地域の平和にかかわることを調べさせる。このように、平和学習のしかたは、さまざまにくふうできます。

 しかし、読まされ、聞かされ、見せられ、知らされるなどと、学習する子どもが受け身の側に立つ受動型では、知識を獲得し、思いをもち、感想を抱いたとしても、それが学習した子どもと指導した教師との中にだけとどまってしまっているのではないでしょうか。こういうタイプの学習では、教える側の教師が主体、教えられる子どもは客体という立場が変わっていません。

 平和教育においては、主体的に、すなわち能動的に行動できる子どもを育てることが大切です。公教育において行う平和教育の正当性のよりどころ(実践する根拠)になる改正教育基本法には、教育の目的として、次のように記されています。
 
教育基本法
<第1条>(教育の目的)
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。(下線は筆者)
 
 つまり、日本の教育は「平和な世の中をつくる人を育てる」を目指しますから、平和を好む、平和を願うだけにとどまっているのでは不十分となります。

 平和教育のタイプとして、知識を与え、読んだり見たりさせる、あるいは調べさせたりするような受動型の学習活動で行う平和教育があります。また、子どもたちが受けとめたことをもとに、何かのテーマで議論をしたり、書いたり、発表したり、発信したり、表現したりする能動的な学習活動の平和教育もあります。その両方を実践していく必要があります。
 
 子どもたちが発表、発信、表現といった活動をするとき、知ったり感じたりしたことを右から左へそのまま取り出すわけにはいきません。

 子どもたちが感想を書く、作文を書く、レポートを書く、あるいは平和宣言を書くなど発表する時には、いろいろな書き方があります。いずれにせよ、子どもたちは自分の中で言葉を選び、紡ぎ、文章を構成していきます。

 また、発表や発信をする場合には、保護者に対して発表したり、自分より下の学年に対して発表したり、クラスの中でお互いに発表したりさまざまな対象が考えられます。発表の方法も、自作劇であったり、パネル展示であったり、いろいろなかたちがあります。ネットで広く発信したり、自治体の役所や都道府県庁、政府や各国大使館など公的な機関に発信したりする場合も考えられます。どの場合も、発表・発信する相手を意識して、より伝わりやすくし、理解されやすくする工夫や努力が求められます。

 美術作品や音楽作品として表現する場合、作品化するためには、平和への思いをそのまま提示するだけでは作品になりません。平和という主題をもった上で、表現のための技法を駆使し、芸術的な創意工夫をしなければ作品としての価値を高めることにはなりません。

 このように発表、発信、表現といった活動をするときには、平和という主題に子どもたち自身が主体的に能動的に向き合うことになるのです。
 
 教師が、こういう知識を子どもに与えたい、こういう理解をさせたい、こういう心情に共感させたいという思いで平和教育を構想していくと、受動型の平和教育になります。その上で、子どもたちにどんな決意をしてもらいたいか、どんな表現をさせたいか、あるいはどんな行動を期待するかを考えていくのが能動型の平和教育の構想です。

 平和教育の学習計画作成にあたっては、受動型と能動型の両面から考えていきたいものです。
2)具体案づくり  
2)授業の具体案づくり
 
大きな単元か 小さな単元か
 授業案をつくるときには、まず大きな単元で実施するか、小さな単元で実施するかを考えます。

 修学旅行を中心にして何ヶ月にもわたるような大きな単元を組むときもあれば、日付にちなんで「今日は何の日だと思う?」というかたちで15分だけ話をするような小さな単元を考えることもあります。大きな単元はその中に修学旅行や社会見学などの実地学習や、全校集会や発表会など、発表の対象が大人数になる場面を含むこともあります。

 小さな単元の場合は、カレンダーをきっかけに話をしたり、絵本を読み聞かせたりと、学級活動の時間を活用して日常の指導の中で行えます。投げ込み教材による特設の時間でも、1〜2時間程度ならちょっとした工夫で実践することができます。
 3)授業の準備  
3)授業の準備
 
 授業を準備することは、平和に関する何かに子どもが出合えるように、出合いの場をセットすることです。
 体験をもつ人(例えば、被爆者や空襲体験者)に出会わせたり、歴史的な事実(例えば、郷土にも空襲があったこと)に出合わせたり、戦争遺物(焼夷弾の筒や被爆瓦)と出合わせたり、あるいは戦争を描いた作品(「火垂るの墓」や「原爆の図」)と出合わせます。また、広島・長崎という被爆地に行ったり、近くの戦争遺跡を訪ねたり、平和ミュージアムに行ったり、平和の集いに参加したりするなどいう場との出合いもあります。
 4)授業実施
  において
 
4)授業実施において
 
*平和学習は、押しつけで無い平和的な方法で
 平和学習は平和的な手法で、押しつけのないようにすすめたいものです。

 平和学習をしようとしている授業者は、平和が大切だと思っているので、ついそれが前面に出てしまいがちです。でも、その考えをそのまま子どもに「移植する」ような授業は、平和的とは言えません。授業を終えて、子どもたちが「平和は大事だ」と言ったとしても、それが教師の求める正答であるからそう言っているのであれば、平和を求める子どもが育ったことにはなりません。

 平和という言葉は昔から使われていて、日本がアジアに向けてどんどん軍隊を進めていた時に大東亜共栄圏を目指す、アジアに平和と繁栄を求めるのだと言っていました。戦前の子どもたちは、平和な世界をつくるために日本が覇権を握らなければならないと信じ込まされて男子は兵隊になり、女子も戦争に協力していたわけです。

 だから平和学習では、押しつけてしまうのはいけません。教師の思想や歴史観や価値観の押しつけにならないように授業していきます。それが平和教育としてはとても大切なことです。
 
 平和教育で「押しつけをしない」ことは、「何も教えない」ということとは違います。知識として必要なことがら(歴史教科書に記述されている戦争の経過など)は、教えます。また、戦争についての体験談や手記は、個人の体験と説明した上で提示します。意見や解釈が分かれている問題については両論を紹介することが必要なときもあります。受動型の平和学習においては、教材のバランスを考えながら授業することが大切です。そうすると、幅広い視野で戦争や平和について考えられるようになるでしょう。そして、常に正解は一つ、というような発問や問いかけをせず、多様な答えが返せる問いを発するようにします。そうすれば、小学生でも中学生でも、子どもは子どもなりにいろいろな考えを出します。

 そして、さまざまな形で発表や発信や表現をしようとするでしょう。さらに、それを行動にむすびつけようとするかもしれません。その際に、小学生だから無理だろうとか、中学生だからここまでしかいけないなどと既成概念にとらわれた考え方をするのではなくて、一人の人間の考えや行動としてしっかり受け止めていくことが、平和教育を進める際に大事なことではないかと思います。その上で、教師の責任として、子どもの感性を磨き、思考を鍛え、表現力を高めていく指導はしっかりやらないといけません。活動場面においては、子どもの自主性を尊重しますが、教師はやりっぱなしやらせっぱなしでなく、少しでも平和学習の内容を高め、子どもたちの思考を深め、表現を磨くように指導する必要があります。
 5)授業実施後に  
5)授業実施後に
 
 授業を実施した後は、子どもからのフィードバックが必要です。

 平和教育の授業評価は、教科学習とは違って、計算力がどれだけついたか、漢字がどれだけ書けるようになったかなどというようには考えません。結果がどれだけどうなったかということを考えるのではなく、子どもたちがどんなことを考えているかを知り、その後の学習計画に生かすための
フィードバックを行います。フィードバックの方法としては、授業後(あるいは授業の最後)に感想やまとめを書かせて、それを読むのが一般的です。
 
 6)授業の評価  
6)授業の評価
 
子どもの評価
 平和学習における子どもの評価ということを考えてみると、子どもたちの平和のレベルを評価することはできない、ということになります。教科の学習においては知識・理解や技能などの観点別に学習目標や評価基準を決め、それに到達したかどうかで評価します。しかし、平和学習では、テストをして点数をつける、というわけにはいかないのです。

 授業者として、こういうことを言ってほしい、こんなことを考えてくれるようになれば、という学習のねらいがあって、子どもたちがそのねらい通りに言ったり考えたりしたら、ねらいを達成したと、ひとまず言えるでしょう。でも、その通りになっていない子どもたちをマイナス評価するわけにはいかないのです。事実認識に間違いや誤解がある場合は別として、正しく理解しても、子どもたちの受け止め方はさまざまであってもよく、どう考えるかに唯一の正解しか許されないというものではありません。だから、こう書いたら正解、こう考えられたら合格という考え方ではなく、その子の持っている力でどれだけ思考して表現できたかが評価の対象になるでしょう。子どもの考えが、教師の平和への思いと一致しなくても、それだけで優劣は決められません。子どもたちが一人ひとりがどう考えて動けたかについては優劣はつけられないと思います。
 
 授業評価する場合には、平和教育のいちばん元の目標である「平和的な社会をつくる人に育ってほしい」という願いに、どれだけ近づけることができたかというのが授業の評価になるでしょう。それは、発表、発信、表現などの能動型学習の場面でしか見ることができませんので、やはり、平和学習には能動型学習の場面が必要ということになります。

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