長崎市立山里小学校
2007年9月17日訪問
長崎市立山里小学校は平和公園の北側に位置し、爆心地域を校区に持つ学校である。
如己堂にもほど近く、爆心地からの距離は約600m。
あの8月9日は登校日ではなかったが、在校した職員32人中28人が死亡、児童の多くは自宅で被爆して在籍約1600人中1300人が死亡し、9月の終わりに登校できたのは約100人だったという。
いまは新校舎がそびえているが、この学校には平和に関する施設や碑が数多くあり、さながら学校全体が平和モニュメントになっている。
校門を入ったロータリー前にあるのが児童記念館で、1階が原爆資料室と多目的ホールで2階が児童図書館である。
資料室には写真パネルや山里小にまつわる遺物が展示され、それらの説明板は子どもの手書きになっている。おそらく平和学習で書いたものであろう。子どもの活動のようすの展示もあり、この学校の平和教育の姿が見える展示資料室である。
この記念館の壁面には、永井博士作詞で、いまも児童に歌い継がれている「あの子」の歌詞が書かれたプレートが設置されている。
それに面するのが「あの子らの丘」である。
中心になる「あの子らの碑」は永井博士の発案・指導で出版された作文集「原子雲の下に生きて」の印税による。
これをとりまくように、平和の碑や折りづるの碑が配置され、この丘は平和学習、平和祈念、平和発信のピースゾーンとして活用されている。
校舎の裏には、防空壕跡がある。保存整備工事が実施され、照明もつけられて、当時のようすが再現されている。ここは新たな防空壕作りの作業をしていた多くの職員や市民が亡くなった場所でもあり、平和を語り継ぐ場として残されている。
校門を出て下ってゆく坂道には、永井博士寄贈の桜の木が植えられ、永井桜、永井坂として、地元の人々に親しまれている。「あの子らの丘」の、この坂に面したフェンス沿いは緑の樹木が生い茂る斜面になっている。そこに道路に向けてこんな看板が設置されている。
昆虫の楽園に
この丘には原爆で亡くなられたお兄さんお姉さんが、しずまっておられます。
わたしたちは、この丘のセミやコオロギなどをつかまえません。亡くなった方々にたくさん虫の声を聞いてもらうためです。
この丘に、カンやビンなどをすてないでくださいな。
この看板を覆い隠さんばかりに緑の葉が繁っているが、そのようすからも、いのちへの慈愛をはぐくみ、それを通して平和を求める心を育てているのであろうと想像させられた。