対馬丸記念館
2007年12月29日訪問
観光客でにぎわう那覇の国際通りから歩いて約20分、市民ビーチ近くの小丘陵には波之上宮があり、旭が丘公園として整備されている。
この公園の一角に対馬丸記念館がある。
「“学童疎開船”対馬丸の悲劇」として知られる対馬丸は、1944年8月21日夕方、疎開学童ら1788名を乗せ那覇を出航したが、翌22日夜10時過ぎ、鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点を航行中、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、沈められた。
犠牲者数1400名以上になるという。
生存者には厳しい箝口令がしかれ、沖縄戦の混乱もあって、事実が明らかにされるまでには時間がかかった。
1953年、愛知県の人からの申し出があって、対馬丸の犠牲者を慰霊する「小桜の塔」が建立された。
場所は協力した護国寺のすぐ隣、那覇港を出て行く船舶を見はるかす丘のふもとである。
丘をはさんで反対側に対馬丸記念館が建設されたのは2004年であった。
記念館は2階が入り口で、展示は「対馬丸撃沈事件とは?」というコーナーから始まる。
まず、過去の事実を説明する展示である。
1階に下りると「みんな、おかえりなさい」というコーナーがある。
ついに還れなかった1418名の名前が掲げられ、生存者や遺族の証言ビデオもある。
その奥には「楽しかった学校」という、戦時教育のようすを再現した展示があり、「最後にすごした場所」として船倉内や漂流のようすの再現がある。
そして「生きていたきみを忘れない」という遺影と遺品のコーナー。
パンフレットに、犠牲者数に比べて遺影と遺品が少ないのがこの館の特徴だと書かれている。
最後に「対馬丸を平和のみちしるべに」として対馬丸を語り継ぐ取り組みについての展示がある。
軍の都合が優先される戦時行政の限界、子どもの命を守るためだけではなかった学童疎開の実相、結果として教え子の命を奪った戦時教育の実態、情報を抑圧する全体主義国家の姿など、「対馬丸」から学べることは多い。
「対馬丸記念館」は、そのための入り口として、平和学習に役立つ展示がされている。
パンフレットに記されている「いま対馬丸を語ること」というメッセージに、こんな一節がある。
戦争を語るとき、悲しみと憎しみが生まれます
悲しみの大きさを、「希望」にかえる努力をしないと
悲しみが報復の連鎖をよびます
そして、
いま世界では報復の連鎖が
子どもたちから新たな夢と希望を奪っています
この報復の連鎖を断ち切る努力を一人ひとりがすること
これこそが、対馬丸の子どもたちから指し示された
私たちへの「課題」ではないでしょうか
と結ばれる。
ここに表れているのは、慰霊や過去の事実の伝達にとどまらず、平和を創造するための意志であると考えられる。
「対馬丸記念館」は、平和な社会を実現するという平和教育の目的に適った平和ミュージアムであるといえる。