「月光」のグランドピアノがある街 
 
 
★ 九州北部。鹿児島本線と長崎本線が分岐する駅が鳥栖です。博多から快速で30分ほど、特急だと20分ほどで着きますが、ここはもう佐賀県です。鳥栖駅は観光地へ行く特急も停車する大きな駅ですが、ホームの立ち食いのかしわうどんが郷愁をそそる、どこか昔ながらの雰囲気のある駅です。
 この鳥栖の駅前に新しいビルがあります。サンメッセ鳥栖という、多機能の文化センターです。ここの1階ホールに、1台のグランドピアノが展示されています。演奏を楽しむためではありません。ピアノだけでなく、まわりには飛行兵がピアノを弾く場面の絵や、書の額なども展示されています。
 
 
 
★ このピアノは、1930年頃に、地元の母親たちが子どもたちをよい音楽に親しませたいと、費用を出し合い、ドイツから取り寄せて学校に寄贈したフッペル製のグランドピアノです。当時としても、家一軒建つといわれるほど高価なものだったそうです。
 鉄道の要衝である鳥栖の街も、1945年の8月11日に激しい空襲にさらされます。このピアノが置かれていた鳥栖国民学校でも6名の子どもが死亡し、校舎も機銃掃射を浴びます。しかし、ピアノは無事でした。
 戦後50数年を経て、老朽化したこのピアノを処分するという話がもちあがりました。それを聞いた元音楽教師の女性が、このピアノにまつわる戦争中の思い出を鳥栖小の子どもたちに語りました。それがきっかけで、放送局による取材、番組制作があり、番組を見た人々から、ピアノの保存を願う声が上がります。戦中の悲劇のエピソードを風化させまいとする人々の思いの表れでした。
 その間のいきさつをもとに、特攻隊の生存者への取材も加えてドキュメンタリーノベルとして出版され、映画化もされました。
 「月光の夏」と題されたその小説から、鳥栖小のピアノにまつわる部分を再現してみましょう。

 こんなお話です。
 
 
 
 
★ 1945年5月末、沖縄では激しい戦闘が続き、本土への空襲も激しくなっていたある日、鳥栖国民学校に突然の来訪者がありました。茶色の飛行服に白いマフラー、左腕には日の丸の縫い取り、飛行帽を手にした丸刈り頭の二十歳過ぎの青年二人。陸軍目達原(めたばる)飛行場の特攻隊員でした。線路沿いに12qの道のりを走ってきたといいます。
「私たちは、明日出撃します。死ぬ前に、もう一 度思い切りピアノを弾きたいのです。ここにはグ ランドピアノがあると聞いて、やってきました。」
彼らは東京の学生だったのですが、音楽の勉強を途中であきらめ、爆弾を抱いて敵艦に突っ込むための訓練をしていたのです。
音楽室に案内された隊員は、ピアノに向かい、姿勢を正すと、そこに楽譜があったベートーベンの「月光」を静かに弾き始めました。立ち会った音楽担当の上野歌子さんは、素晴らしい演奏に感動しながらも、音楽への志を捨てて国のために死地へ赴く青年の胸中を考えると、悲痛な思いに胸をしめつけられるのでした。

 
★ そこに男子生徒たちがやってきました。当時の少年のあこがれのまとである飛行兵が来たと聞きつけて、集まってきたのです。出撃する二人の隊員を「海行かば」を歌って見送ることになったのですが、上野さんは胸が詰まって伴奏する気になれませんでした。「海行かば」とは、天皇のために悔いなく死ね、と教える歌なのですから。ためらう上野さんを見て、隊員がピアノに向かいました。
「この歌は自分たちの鎮魂歌、葬送曲です。自分の曲は自分で弾きます」
 毎日のようにこの歌を歌わされていた生徒たちは、大きな声で元気に歌いました。歌い終わって、口々に「ぼくも飛行兵になります」「自分も特攻に行きます」などと言う男の子たちに、隊員は「君たちが行かなくてもいいようにお兄ちゃんたちが行くんだよ」と、さとしていました。
その後、隊員たちが鳥栖に姿を現すことは、二度とありませんでした。
 

 
 
★ ある教育大での調査によれば、小中高の平和教育で印象に残っているテーマは、トップが原爆、2位は沖縄戦をおさえて、特攻でした。戦争や平和について聞いたのは、祖父母から、学校からに並んでテレビからがベスト3に入っています。学校ではあまり取りあげられない特攻が強く印象に残っているとすれば、マスコミの影響が懸念されます。最近封切られた映画にしても、自分の意志による自己犠牲と、上からの命令や作戦のための死を混同したタイトルになっています。歴史を美化する立場で振り返ることしかできないならば、歴史から何の教訓も得ることはできません。
 
  一人ひとりの自己実現を最も豊かに保障するのが平和です。自己実現を最も無惨に踏みにじったのが特攻作戦でしょう。そんな歴史を繰り返させないために、いま美化の風潮が高まっている特攻隊について、きちんと学校で教える必要があります。

★ 「月光の夏」は、いたずらに特攻隊員を賛美することなく、彼らの、そしてその周囲の人々の、人間としての苦悩まで描いています。「月光のピアノ」は若者の希望を奪った戦争の象徴なのです。上の、高校生による壁画も、そのポイントをおさえています。
 

【参考文献】 毛利恒之「月光の夏」講談社文庫1995
 
 
 
 
 
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