平和教育に関する用語
用語:日本と世界の平和教育 愛国心教育 双方向の平和学習 平和教育学
日本と世界の平和教育
平和教育には,戦争や平和について学習する「直接的 平和教育」(または「平和についての教育」)と,平和な社会を形成する人間を養成する「間接的平和教育」(または「平和のための教育」)とがある。平和な社会の形成者として必要な知識や感性や態度を人々に養成することにより,教育は平和な社会の形成に貢献する。
1970年代以降,被爆体験や空襲体験などの戦争体験を継承し,平和主義的態度を育成することが日本の平和教育の中心的方法となっている。1980年代以降は,日本の被害体験だけでなく,加害体験の継承も平和教育の中に取り入れられるようになった。今後は,太平洋戦争の地上戦の悲惨さと日米軍事同盟の現状を学習する沖縄への修学旅行,日本の植民地政策や侵略戦争を現地で学習する韓国や中国への修学旅行が平和教育の重要な方法となろう。
東西冷戦が終結して新しい歴史の段階に入った1990年代には,人口問題,環境問題,民族紛争など世界的課題が表面化し,現在では戦争のない消極的平和だけではなく,支配・抑圧・搾取・不平等などがない積極的平和を実現することが目指されている。積極的平和を目指して平和教育を改善しその実践を広げるために,国際的な協力が重要となった。
各国の教育に大きな影響を及ぼしたユネスコの「国際教育勧告」(1974)が出された20年後の1994年にユネスコ第44回国際教育会議が開かれ,過去20年間の成果と加速的変動の国際社会の現状をふまえ,「平和・人権・民主主義教育に関する総合的行動要綱」が採択された。
今後平和教育を進めるにあたって,日本の平和教育の特性である反核・反戦平和教育の伝統を守るとともに,世界の平和・環境・開発・人権を視野に入れた地球市民の育成を平和教育の中に位置づけることが平和教育の課題となっている。
参考文献 日教組平和学習冊子編集委員会編『総合学習の時間に生かす/これが平和学習だ』アドバンテージサーバー,2001)/西田勝・平和研究室編『世界の平和博物館』(日本図書センター,1995)/村上登司文「平和教育の世界的動向」(『平和研究』No.19,1995)
愛国心教育
愛国心(patriotism)とは,自分が所属する国に対して持つ愛着の心情や態度である。愛国心には,自分が生活する環境への愛着(郷土愛・民族愛)と結びついて自然発生的に形成される側面と,国家への求心力を保つために政府の意図的政策によって形成される側面とがある。愛国心教育が関わるのは主として後者の場合であり,それは通常,社会科教育(歴史,公民,政治など)や道徳教育の中で取り扱われる。
愛国心は,国家の教育や情報・宣伝によって,排外主義,対外強硬論,人種・民族的差別に利用されることがある。排外主義的な愛国心に国民がとらわれると,自国を誇大視し,国際関係を冷静・客観的に見られなくなり,国内の「異質」と見なされる人々への寛容の度合いが低下する。さらに,政府による愛国心教育が国防意識の形成に結びつくとき軍事力が増強され,愛国心教育が戦争遂行の道具として利用されたのは歴史が見るとおりである。
21世紀のグローバル社会では,国益の枠組みからだけでなく地球益も視野に入れて,「相互理解と連帯と寛容の精神」を持って積極的に行動できる人材の育成が教育課題となっている。
参考文献 田村栄一郎『日本の教育とナショナリズム』(明石書店,1988年)
平和教育学
平和教育学は、平和教育自体を研究対象として社会科学的に分析する学問である。平和教育(peace
education)には、平和についての教育(education
about peace)と平和のための教育(education
for peace)がある。前者の平和についての教育は、平和と戦争の問題を直接的に教材として取り扱うので、直接的平和教育と呼ばれる。後者の平和のための教育は、平和な社会の形成者を育てるために行う幅広い教育活動を指し、平和・戦争問題とは間接的に関わるという意味で間接的平和教育と呼ばれる。さらに、教育方法も平和的であるべきという観点からは、平和の中での教育(education
in peace)という概念もある。
平和教育学は、こうした三種の平和教育を、歴史的、比較的、社会学的、心理学的に分析し、平和教育実践を理論的に支援するための学問的知見を得ようとする。
平和教育の研究は戦後に教育研究者により始められたが、1976年の日本教育学会大会以降は課題研究として「平和教育」が設置され、学会で討議されるようになった。そこでは、教科・教材や道徳教育と平和教育との関連、各学校段階での平和教育の実践が報告された。また、ユネスコなど国連機関や諸外国における平和教育の取り組みや、教科書作成の国際協力などが紹介された。軍縮教育、開発教育、構造的暴力の概念など、平和教育に関する海外の新しい視点や概念が紹介された。この課題研究は1993年まで継続して設置されていたが、1994年から名称を「平和・人権・国際理解の教育」と変更し、さらに1999年からは「平和教育・平和文化」と改称し、新しい枠組みで平和教育が研究・討議されている。21世紀は積極的平和の概念に基づき、幅広い平和教育研究が主流になっていくだろう。
日本では、平和教育実践についての実践報告や教材の編集は多く行われているが、平和教育の有効性を高める必要条件を経験主義的に詳しく分析した研究や、平和教育の実践データを体系的に収集して評価する研究は少ない。
平和教育学の今後の研究課題として、@戦争体験を継承する教育実践の実証、A子どもたちの平和的資質や態度の形成方法、B戦争の残虐性を教える方法と子ども達の心のケアー方法、C平和な社会形成に参加する主体的学習の方法、D平和教育に対する偏向批判などの障害を克服する方法、E平和教育実践を進める社会的メカニズムの理論化、などがあげられる。こうした研究課題を達成するためにも、平和教育学では諸外国と研究成果の交流を進めることが必要である。[
参考文献]『教育学研究』の大会特集号に「平和教育」関連の課題研究まとめが掲載されている。
双方向の平和学習
現在は運輸・通信手段の発達により国際化が進み、社会のあらゆる分野で世界と緊密につながっており、平和学習についても日本国内だけで通用するのでは不十分となっている。日本の平和学習では戦争の被害体験が中心に伝えられて、子どもたちに平和主義的態度が形成されてきた。けれども過去の戦争についての学習では、日本の視点と、アジア・アメリカの視点からとの「双方向」の平和学習をすることが不可欠となっている。
日中戦争では日本が南京で大量虐殺を行ない、太平洋戦争は日本の真珠湾攻撃から始まったとの歴史認識を欠いては、被爆国の願いである核廃絶を世界に訴える力は弱い。広島・長崎に投下された原子爆弾に関しては、原爆という非人道的兵器の使用で亡くなった多くの犠牲者に焦点を当てた「原子雲を下から見る視点」がある。他方、原爆は戦争の終結に役立ち日本の侵略戦争を終了させたとする「原子雲を上から見る視点」がある。日本の平和学習は、主として前者の「原爆投下後」の惨状を問題にしてきたのに対し、近隣諸国の人々は後者の「原爆投下まで」の歴史を問題とする。
戦争を知らない世代は、日本の戦争加害を歴史教育で学び、外国の人々の視点を理解する必要がある。例えば、ノーモア・ヒロシマ(日本の視点)とリメンバー・パールハーバー(アメリカの視点)の両者を理解して、ヒロシマとナンキンとアウシュビッツにおける戦争の残酷性を関連づけることが平和学習では必要といえる。
自国が犯した戦争加害についての歴史認識に言及することは、自国中心主義的(エスノセントリック)な人々にとっては、自尊心を傷つけるように作用する。けれども、自国の歴史的加害の直視が自虐的であると否定するのは、国際的な相互理解にそぐわず、かえって自己を卑しめる結果となる。双方向の視点から過去の戦争を考察し、ヒロシマの歴史的意味を確認し、核兵器廃絶に向けての日本人の責任と、平和な社会形成に貢献する能力や態度とを養う平和学習を行うことが望まれる。
これからの平和な社会を形成する基本的理念は人権と共生にあるといえる。平和を手が届かない遠い理想とするのではなく、身近な平和問題の解決を目指す。戦争は、生命・自由・幸福追求の権利をおびやかす一番の人権侵害といえ、日常生活において人権を守り尊重することが戦争防止につながる。また、日常の様々な問題を非暴力的に解決し、相互理解を進める方法を学ぶ中で、暴力による解決の限界と非人間性を教える。平和な社会とは、異質な人々への共感的理解が高く、特に外国人に対する偏見を低減した「共生」に向けた社会であるといえよう。