ロールプレイ:「原爆投下論争の解決方法は?」

広島の被爆者
意見「原爆投下は過ちであり、核兵器を二度と使ってはいけない」
 
広島に住む被爆者、70歳。広島の原爆投により被爆した。
◆プレイ中の立場
○建物疎開に行った中学生の兄と、広島市中心部に住んでいた親戚は原爆で亡くなった。
○原爆は無差別的に多くの市民を殺し、被爆後も長期にわたって人々を苦しめる。
○生き残った父は原爆症のせいで、体が弱く仕事を休みがちであったので、非常に貧しい生活であった。
○毎日大勢の修学旅行生や観光客が広島平和記念館を訪れるが、被爆した人々の苦しみを本当に理解しているのか疑問である。
○原爆の被害をアメリカ人がもっと知ったら、核兵器を無くそうという考えを持つのではと思う。
○核兵器は人間が作ったものなので、核兵器をなくせないはずはない。
○原爆投下は爆弾の威力を測る実験でもあり、被爆者の多くがアメリカ軍医師によって戦後長期にわたって被爆の影響を見る検査対象とされた。


日本の高校生
意見「原爆の被害を世界の人に伝え、核兵器の廃絶を訴えるべきである。」
 京都に住む16歳の高校生
◆プレイ中の立場
○広島に中学校の修学旅行で行き、平和記念資料館で被爆の悲惨な実態を知った。
○広島に投下された原爆の何十倍、何百倍の核兵器が現在数万発あるのは危険である。
○日本に原爆投下されなくても、当時日本は降伏するつもりであったので、アメリカの原爆投下の決定は正しくない。
○アメリカ人に、原爆投下の悲惨な状況が正しく伝わっていないのではないだろうか。
○核兵器の破壊と後遺症の怖さを世界の人々が知り、世界から核兵器を無くしてほしい。
○第二次世界大戦を直接知らない若い世代は、もっと戦争体験者の話を聞いて戦争の事実を知るべき。


アメリカ人女性
意見「日本軍による真珠湾攻撃がなかったら原爆投下もなかった」
 
真珠湾攻撃の犠牲者の孫、20歳
◆プレイ中の立場
○真珠湾は奇襲攻撃であり、一方的な攻撃を受けて、私の祖父は戦艦と共に撃沈され亡くなった。
○1941年の12月8日の夜明けに日本の海軍奇襲部隊が真珠湾を急襲した。宣戦布告もなく寝静まったアメリカ軍を襲うのは卑劣な手段である。
○そもそも戦争を始めたのは日本で、アメリカではない。奇襲攻撃で、一瞬にして米国を戦争に引き入れたのは日本の責任である。真珠湾攻撃さえなければ、アメリカは原爆を落とすこともなかった。
○10数年前に長崎の原爆資料館を訪れた、原爆の被害を強調する展示ばかりで、そこに至った日本の責任の展示がなく、アメリカがしたことだけが悪いという展示は不満である。
○日本はアジア・太平洋の国々を侵略し、南京では大量虐殺を行った。むしろその数の方が、原爆の犠牲者よりも多いのではないか。


アメリカ軍人
意見「原爆投下は戦争終結を早め、日本本土の地上戦を避け多くの人命を救った」
 アメリカの軍人、35歳。
◆プレイ中の立場
○私はアメリカ軍人として、イラク軍の侵略をやめさせた1991年の湾岸戦争を戦った。
○アメリカのトルーマン大統領は、太平洋戦争を早く終わらせるために、原爆投下を決断した。
○原爆投下は戦争を早く終わらせ、アメリカ軍の戦死者を少なくすることができた。
○アメリカは日本市民に再三空襲避難勧告を行い、非戦闘員に避難の時間を与えた。
○戦争中の日本では最後の一人になるまで女も子どもも戦おう(玉砕戦)としていた。原爆投下により、日本本土での無益な地上戦が避けられ、結果として多くのアメリカと日本の人々の命が救われた。
○戦争で人が死ぬのはしかたのないことである。それよりも原爆投下が戦争を早く終わらせたことを評価すべき。


中国人女性
意見「日本が中国に侵略して多くの人を殺したので、原爆を落とされたのはしかたがない」
 南京に住む20歳。祖父が1937年12月の南京大虐殺で犠牲になった。
◆プレイ中の立場
○日本兵が南京にやって来なければ、祖父は殺されることはなかった。
○祖父を殺された祖母は、日本が原爆を落とされたのは「天罰」だと今でも思っている。
○日本の原爆資料館で、原爆の悲惨さを訴えているいるそうだが、その無神経さは理解できない。
○原爆被害をいう前に中国の人々にした戦争加害を認めるべきである。
○広島・長崎の原爆死傷者の約1割は韓国・朝鮮人だそうではないか。
○原爆投下による一般人の無差別殺人の非を問うなら、日本軍がアジア諸国で行った大量虐殺も同じ視野に入れるべきである。


日本の社会科教師
「未来志向の姿勢で平和的な国際関係に日本は貢献していくべき」
 大阪の中学校教師、40歳。
◆プレイ中の立場
○日本は、かつて植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して被害を与えた。
○日本による侵略戦争の補償のほとんどは、政府間の協議による戦後賠償ですでに解決されている。
○日本の総理大臣は、歴史の事実を謙虚に受け止め、戦後50年目と60年目に、反省とお詫びの気持ちを表明した。
○中学校の歴史教育の中で、悲惨な戦争の教訓を風化させず、過去を直視して、歴史を正しく認識するように子どもたちを指導したい。
○日本は、中国や韓国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築し、平和な世界をつくるために貢献したい。
○日本は、唯一の被爆国としてその被爆体験に基づき、アメリカや中国の核兵器の廃絶に向けて積極的に働きかけるべきである。