第3回の平和教育授業研究会(ペグ)の様子
テーマ:アメリカ同時多発テロを教える
実施日時:2001年11月3日(土)午後2時から5時
実施場所:大学院棟4階 G2教室
第3回ペグの内容
(1)参加者の自己紹介 今日来て下さった方々の自己紹介。 (2)アメリカ訪問記 参考:「テロがあったニューヨークに滞在して」 (3)平和教育のワークショップ ○9月11日のテロ事件に関連する経験を共有する。 ニューヨークとワシントンへのテロ攻撃を聞いたのはいつどこでですか? それに対するあなたの最初の反応(reaction)は何でしたか? ○テロとは何ですか? あなたのテロの定義は何ですか? 下記の三つの言葉を使って、一つの文でテロの定義を考えてみよう。 (戦争、乗っ取り犯、タリバン、安全、平和、アフガニスタン、イスラム教、過激派) (反省点:参加者より、上記方法で定義するのは難しい指摘あり) 参考資料:テロの定義とイスラム過激派に関連する歴史的事項 自分の家族(クラスの子ども達)にフィットしていますか? ○報復攻撃についての論争(参加型の平和学習) テロへの報復攻撃に賛成 or 反対? ロールプレイにより、アメリカ、イスラム、日本など異なる立場の意見を実感して下さい。 授業資料:「アメリカでの同時多発テロとアフガニスタン攻撃のロールプレイ」 参考資料:国際理解教育論の授業で行った時の学生のレポート ○アメリカでのテロとアフガニスタン攻撃への対策を考える教材づくり 様々な平和学習とそれへの(政治的)批判の事例 非暴力的解決の方法 国際テロの実態の学習 経験の共有:いやしの学習(悲しみ、テロへの恐怖、連帯感) 日常の平和社会形成への参加 (参考文献) アウシュビッツ平和博物館『勇気ある人々の肖像展』2001年7月。 ステファニー・ジャンセン偏・三国千秋訳『静かな力−子ども達に非暴力を教えるために実践マニュアル』嵯峨野書院、1995年。 (4)まとめ 今日の研究会を振り返って、感想ノート 参考:第3回ペグ参加者の感想 |
2001年9月に平和博物館と軍事博物館の資料収集にアメリカに行った。初めてのアメリカ東海岸であり、9月4日に首都ワシントンに入った。ワシントンでの仕事を済ませ、9月8日に鉄道でニューヨークへ移動した。9月9日に、自由の女神とヨーロッパから船で来た移民達の入国審査を行ったエリス島を見学する。その夜、あの世界貿易センタービル(WTC)の110階で地上420メートルの屋上に上った。当日の日記に次のように書いた。「夜は、アメリカで一番高いWTCの屋上展望台からニューヨークの街を眺めた。ヘリコプターが下を飛び、自由の女神のたいまつが心細げに小さく見えた。世界の中心のニューヨークの夜景はすばらしく美しかった。」 その2日後の9月11日の午前8時45分に最初の飛行機がWTCビルに突入した。日記は「今日はとんでもない一日であった」と書き始めた。私が朝9時半頃セントラルパーク公園内を歩いて南下していると、ジャクリーヌ池の遠方に巨大な黒い煙が上がっている。雨雲にしては形がおかしいし、もし大規模な火災であれば、公園内をジョギングしている人々が普段通りであるのはおかしい。国連本部に行くためにバスに乗ると、WTCの異変を乗客が話していた。乗客の話に出た「コラプス(崩れ落ちる)」の言葉は余りにも大げさすぎる。二つのビルのどちらがやられたのかと思っていたら、南のビルだと誰かがいった。しかし私は小型飛行機が衝突したくらいではビルはコラプスするはずないと思った。 国連本部に行くと閉鎖していた。地下鉄が全部止まっており、橋も渡れないと聞く。人々の大群が徒歩で南から北へと向かっていた。灰をかぶったパトカーが通ったのを見て、大変な事故が現実に起こっている事を知った。時間が経つにつれて、ビル崩壊を写したビデオが街頭のテレビに映され、カーラジオや携帯ラジカセからテロのニュースが街中に流れてきた。私自身は事件に対し何もできないので、歩く途中に見つけたキリスト教会でミサに参加し祈りを捧げた。その日のバスは運賃無料で運行しており、道行く人々は親切に声を掛け合い助け合い、街角の至る所にパトカーと警察官が出ていた。夕方はホテル近くのハドソン河岸に行き、沈む夕日に多数の犠牲者の冥福を祈った。 翌日の9月12日は、鉄道の駅やバスターミナルが閉鎖で、行きたい博物館や美術館も全て閉鎖していた。空港は全面閉鎖であった。バスは14丁目までしか運行していなかった。チャイナタウンを含むマンハッタン南部の広大な市街地が立入禁止になっている。14丁目でバスを降りると、ユニオン・スクウェアー(広場)があり、多くの人々が、広場の石畳の上に敷いた長い紙の上に寄せ書きをしていた。ロウソクを灯したり、ひまわりの花を供えたりして、悲しみを表現していた。寄せ書きの中には「テロリストに対し勇敢に戦おう」との記述もあった。私は、「今回の犠牲は余りにも大きすぎる」と書き、「反戦平和」の象徴であるツルを折って供え悲しみを表現した。 帰国予定日の9月13日に飛行機が飛ぶとのニュースがあり、早朝空港に行き夕方まで待ったが、偽の空港職員事件で空港は再び閉鎖となった。テレビの一つのチャンネルは「攻撃されたアメリカ」の字幕を付け、テロ事件の放送を続けていていた。テロ3日目の14日も、大きな商店は閉まったままであり、野球のゲームやミュージカル上映は中止であった。ただしこの3日間で、テロ事件に対する人々の驚きが悲しみとなり、さらに危機に立ち向かおうとの強い愛国心となっていた。街頭のいろんな所で、ミニアメリカ国旗を売る商人が出ており、何人もの通行人が立ち止まりそれを買っていた。街の大きな変化として、ビルに幾本も国旗が飾ってあり、国旗掲揚ポールには半旗の国旗が掲げられていた。通り過ぎる車の何台にも国旗が飾ってあった。通行人の中にも、胸に国旗をさした人、また帽子に国旗をさした人に何人も出会った。 テロ4日目の9月15日に全日空臨時便で2日遅れの帰国の途についた。飛行機がニューヨークを旋回する時に、マンハッタン島南端からまだ白い煙が上るのが見えた。ニューヨーク滞在中にアメリカは必ずテロに報復するとの確信を得ていたが、やはり攻撃が始まった。アメリカでは、合意形成の議論や選挙など、民主主義を維持する政治の仕組みが大切にされている。ただし、国外ではアメリカは軍事大国としてアメリカ製兵器しか顔が見えないことがある。日本の教師の役割としては、テロも含めた世界の紛争を子ども達にわかりやすく説明し、その解決方法を子ども達と共に考えることが大切といえよう。(村上登司文 2001.10.19記) |
参考資料 |
○テロとは 米国務省「主に反政府組織や秘密組織により、政治的動機の下に非戦争員に対して行われる暴力。通常、一般大衆へ影響を与えることを意図する。ただし、ここで言う非戦闘員には非武装あるいは非戦闘態勢の戦闘員を含む。」 日本の警察(警察庁組織令17条)「広く恐怖または不安を抱かせることにより、その目的の達成を意図して行われる極左的主張その他の主張に基づく暴力主義的破壊活動。」 (政治目的を背景として、通常の戦闘行為ではない形で行われる暴力がテロ) テロリズムは心の戦争である。この心の戦争は、恐怖で人の心を掴み、不安で消耗させ、脅しで人の心をテロリストの目的へと引きずり回し、そして人の心に諦念を植え付ける。互いに正義を主張し、憎悪と怒りの復讐が永遠にくり返される。代表的な例が、米国とイスラム原理主義テロリストの関係である。今後、何世代にわたって復讐のやりとりが繰り返されるであろう。(『テロリズムとは何か』参考) |
○イスラム過激派に関連する歴史的事項 1979.4 ホメイニ氏がイランで、イスラム原理主義の国家を樹立 1979.12 ソ連のアフガニスタン侵攻 1990.8 イラクのクウェート侵攻 1991.1 湾岸戦争始まる。 1993.2 世界貿易センタービル爆破事件 1996.6 ダーラン(サウジアラビア)のアメリカ軍宿舎(フバル・タワーズ)爆破事件、19人死亡 1996.9 タリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧 1997.11 ルクソール(エジプト)での観光客襲撃事件、日本人を含む観光客60人死亡 1998.8 タンザニア、ケニアのアメリカ大使館同時爆破事件。(ケニヤで213人死亡) 2000.10 アデン(イエメン)でアメリカの駆逐鑑コール爆破事件、17人死亡。 2001.3 タリバンがバーミヤンの石仏を爆破 2001.9.11 ニューヨーク・ワシントン同時爆破事件 2001.10 アメリカ軍がイギリス軍とともにアフガニスタンへの空爆を開始。 |
アメリカのテロ事件とアフガニスタンへの攻撃の論争(ロールプレイ)
授業目的 9月11日にアメリカ東海岸でテロが発生し、9月12日は小泉首相が、「アメリカが報復攻撃をするなら支持する」と話した。9月14日、アメリカは国際テロに対して武力行使することを認める決議を上院と下院の両院で採択した。10月7日には、アメリカ軍とイギリス軍によるアフガニスタンに対する攻撃を開始した。 テロ事件は全世界に大きな衝撃をもたらした。日本の子ども達も、テレビでテロ事件の映像を何回も見ることになった。世界にはテロが日常的に起こる国がいくつもあるが、日本がテロ事件に巻き込まれることは少なかった。日本国内においては、1995年にオウムによる地下鉄サリン事件が発生したが、テロ事件は他国の問題のように日本人の多くは感じてきた。 テロに対する意識や考え方は、国によりまた人により大きく異なる。また、同じ国民であっても、置かれた状況やその人の性別、年齢、立場により望ましい解決方法が異なる。 今回のアメリカでのテロ事件とアフガニスタンへの攻撃を考えること通じて、平和とは何か(戦争がないことではなくテロもない状態)、テロのない平和な国際社会を形成する方法の「教え方」を探りたい。 ロールプレイによる討議を用いて、今回のテロ問題について異なる立場の人の意見を交換することにより、テロ問題対応についての論争の過程を体験し、まず解決の困難さを理解し、それと同時に解決への展望を探りたい。 授業方法 授業の対象は、中学生以上である。クラスの子ども達を6人ずつのグループに分ける。人数が少ないときは、適宜役割数を減じて行う。 ロールプレイを行う前に、『図説世界の紛争がよくわかる本』(毎日新聞社外信部編著、東京書籍、1999年)など参考書を使用して、「アフガニスタン内戦」と「パレスチナ問題」についてプリント配布などで学習を行っておく事が望ましい。 ○ロールプレイの展開は、 @クラスの中に、いくつもグループができる場合は、同じ役の人だけで集まって、その役の人が何を考えどんなことを主張したいかを話し合う(5分から10分)。 A一人ひとりが順番に、役のプロフィールを参考にして自己紹介を行う。 Bアメリカ軍によるアフガン攻撃について、役の人が述べるであろう意見を述べる。 アメリカのニューヨーク市民、アメリカ海軍軍人の意見から始めた方がよい。その後は、自由に意見を交換する。 Cグループにより、自由に意見を述べさせるグループ、できるだけ合意点を探させるグループ、というように論争の姿勢を教師(援助者)が示し、それにより結果が異なるかを見ていくのも一つのやり方である。 D20分から30分(教師が状況を見て判断する)のロールプレイの後に、各グループで、それぞれの役を演じる途中に何を感じたか、別の役の人に対して何を感じたかを、話してもらう。 E時間が許せば、役割を変えてもう一度ロールプレイを行い、自分の考えがどのように変化したかを、参加者に話してもらう。 ○授業後のアンケート 授業終了後に、クラス全体でアンケートを取ると次回の授業を改善するために有効である。 質問項目例 @あなたの役についての感想 やりやすかったか、やりにくかったか。その理由はなぜですか。 A誰の意見が強かったですか。 B資料で欲しい物がありましたか。 C最初の説明や、ゲームの目的はわかりましたか。 Dロールプレイに参加して、あなたはどんなことを思いましたか。 |
表1 ロールプレイの配役 | |
配役 | 名前 年齢 性別 国籍 「報復攻撃についての意見」 |
@ニューヨーク市民 | アン・セイラー 48歳 女性 アメリカ「罪のない人を多数殺したテロ組織は壊滅しなければならない」 |
Aアメリカ海軍の軍人 | ジョン・ホームズ 32歳 男性 アメリカ「米国に対するテロ攻撃には反撃する」 |
B日本の中学生 | 山本薫子 14歳 女性 日本「戦争は無実の人々を苦しめる悪であるから、すぐに中止すべきである」 |
C日本の教師 | 辻本隆子 46歳 女性 日本「テロへの報復はその報復を呼ぶだけであり、アメリカ軍による報復攻撃には反対である」 |
Dタリバン兵士 | ワキル・アフメド・ムタキワル 26歳 男性 アフガニスタン「祖国を侵略するアメリカに対して徹底的に戦う」 |
Eパレスチナ住民 | ハムザ・ムハマド 58歳 男性 パレスチナ「アメリカ軍やアメリカ市民に対するテロは、アメリカの中東政策への不満の現れである」 |
表2 各役割の詳しい内容 |
@ニューヨーク市民 「罪のない人を多数殺したテロ組織は壊滅(かいめつ)しなければならない」 名前(年齢) アン・セイラー(48歳)女性 プロフィール ニューヨークに生まれ、現在はマンハッタンに夫と子ども二人の家族4人で生活している。彼女は、世界貿易センタービルから少し離れた場所にある銀行に勤めている。 今回のテロ事件で、世界貿易センタービルに入居していた取引先企業の何人かの知り合いが犠牲になった。大学時代のクラスメイトの一人も今回のテロ事件で犠牲となっている。 9月11日のテロ事件以降連日、テロの犠牲者達の生前の様子や、残された家族の悲しみや怒りの様子がテレビで報道され、それをずっと視聴した。中東問題と何の関係もない無実のニューヨーク市民を巻き込んだ今回のテロ事件に対しては強い怒りを持っている。 意見 知人の多くが犠牲になり、救助しようとした消防士も多く殉職した。無実の市民を巻き添えにする無差別テロは決して許してはならない。 テロを計画し実行した人物に対してその責任を負わせる必要がある。テロ組織への攻撃により報復の繰り返しにたとえなっても、何もせずにテロを見過ごすわけにはいかない。報復しなければ、次のテロを招くことになる。一般市民の虐殺テロを正当化する過激派の前で頭を下げてはならない。 テロ事件を撲滅して安全な市民生活を取り戻すためには、持続的で長期的なテロせんめつ運動が必要である。 |
Aアメリカ海軍の軍人 「米国に対するテロ攻撃には反撃する」 名前(年齢) ジョン・ホームズ(32歳)男性 プロフィール アメリカ国家に貢献するために、海軍に入隊した。父親も軍人であり、世界最強のアメリカ海軍に伝統を誇りに思っている。 現在は、横須賀アメリカ海軍基地を母港とする空母キティ・ホークの乗員であり、有事に備えて厳しい訓練を積んできた。空母キティ・ホークが母港とする横須賀市に、妻と娘の家族三人で暮らしている。 今回のアフガン攻撃で、彼が乗り込む空母はインド洋に派遣され、搭載機(とうさいき)がアフガニスタンに出撃している。 テログループをかくまい、テロ組織の本拠地であるアフガニスタンのタリバンに対する武力行使において、アメリカ軍人として最善を尽くそうとしている。 意見 1990年代アメリカに対するテロ攻撃は連続して起こった。 ニューヨークとワシントンへのテロ攻撃は、1941年の旧日本軍による真珠湾奇襲以来のアメリカ国土に対する攻撃であり、テロ組織によるアメリカに対する宣戦布告である。今回のテロ攻撃は、自由と民主主義、経済的繁栄を享受する文明を破壊したいと望む者により起こされている。 アフガニスタンのタリバン政権にビン・ラデンを引き渡すように要求したが、それを拒否したのであるから、アフガニスタンへの軍事的行動は当然であり、戦争(アフガニスタン攻撃)の責任は全てアフガニスタンのタリバン側にある。 アフガニスタンに対する軍事攻撃の標的はテロ集団を保護するタリバンの軍事組織であり、国際的テロをあおっているオサマ・ビンラディンと、過激派グループのネットワークを叩きつぶすことである。 9月11日のニューヨークとワシントンのテロ事件の犠牲者、さらにハイジャックで墜落した乗員・乗客のために、断固として戦う。 |
B日本の中学2年生 「戦争は無実の人々を苦しめる悪であるから、すぐに中止すべきである」 名前(年齢) 山本薫子(14歳)女性 プロフィール 京都市内の中学校に通う中学2年生の女子生徒である。平和学習としてミニ戦争展を開き、修学旅行では広島に行き被爆体験を学ぶ平和学習を行った。 今回の米国テロ事件とアフガニスタンへの攻撃に対し、戦争が世界に広がるのではという不安を持っている。アフガニスタン空爆で死んでいく子ども達の映像をテレビで見て、戦争は悪であり、無実の市民を巻き込むので絶対にしてはならないと思っている。 意見 アメリカ軍による誤爆で、多くの無実の子どもや老人などの市民が傷ついている。アフガニスタンで暮らしている一般の人々にはアメリカで発生したテロ事件の責任は全くない。 米国によるアフガニスタンの市民に対する空爆と、テロリストが米国民に対して行った爆破との違いがわからない。 アメリカ軍のアフガニスタン国内への空爆によりる難民が多く発生し、特に子どもや女性が栄養不足と寒さに苦しんでいる。戦争はいつでも弱い無実の人々を苦しめる悪であるから、すぐに中止するべきである。 |
C日本の教師 「テロへの報復はその報復を呼ぶだけであり、アメリカ軍による報復攻撃には反対である」 名前(年齢) 辻本隆子(46歳)女性 プロフィール 1955年に大阪市で生まれた。20年以上小学校の教師を勤め、現在は京都市内で小学校6年生のクラスを担当している。 自分の祖母は大阪大空襲の時に亡くなり、母親は祖父により育てられた。そのため、子どもの頃に母親から、米軍機による大阪空襲の悲惨な状況を幾度も聞いた。 9月11日にニューヨークのテロ事件があって以降、学校の子ども達からしばしば、「飛行機に乗るのが怖い」という不安を訴えられたり、「アメリカはなぜ戦争をするのか」などの質問を受ける。 意見 多くの市民を巻き添えにするテロは決して許してはいけない。 テロは心の戦争であり、テロへの報復は再びその報復を呼び、暴力の悪循環におちいる。 日本は憲法で、国際紛争を解決する手段として戦争を放棄しており、アメリカ軍が報復戦争を行うことにも反対である。 アメリカがテロ撲滅のために行う方法は、軍事力の行使以外にあるはずである。テロに反対するアラブの国を経済的に支援して、テロ撲滅のためには国際的協力を進めていくことである。 (日本としては、戦時下のアフガニスタン難民に対し、食料援助、電気や水道などの生活基盤の整備などができる。また、アフガニスタンで行ってきた地雷除去作業、井戸掘りの協力を今後も継続するべきである。) |
Dアフガニスタンのタリバン兵士 「祖国を侵略するアメリカに対して徹底的に戦う」 名前(年齢) ワキル・アフメド・ムタキワル(26歳)男性 プロフィール 1979年のソビエト軍のアフガニスタン侵攻の時は、4歳であった。ソビエト軍が撤退する1989年までに、彼の父親はソ連とのゲリラ戦で死亡した。パシュトゥン人(アフガニスタン南部に住む)の母親ときょうだい5人の家族は非常に貧しいながらも、イスラム教を信じる村人に助けられて成長した。 ワキルはアフガニスタン国内のイスラム教学校で学び成長する中で、イスラム過激派となった。1991年の湾岸戦争以降中東地域に駐屯しているアメリカ軍に対して闘いを挑み、いくつかのテロを成功させたオサマ・ビンラディンをイスラム世界の英雄と考える。 意見 米軍機によるアフガニスタンへの空爆は無実のアフガニスタン市民を多数殺しており、これはアメリカ軍によるテロである。アフガニスタンに対するアメリカの空爆は、大国による傲慢てきな行為である。 世界貿易センタービル爆破事件の実行者がオサマ・ビンラディンであるとの証拠はない。オサマ・ビンラディンは、私たちの指導者であり、彼の命令には従う。異教徒の国にビンラディンを渡すことは断固として拒否する。自分も含めて、多くのイスラム教徒は、アメリカとの戦争で死ぬ覚悟ができている。 我々は帝国主義者の集まりである国連やアメリカの脅しなどには負けない。 アフガニスタンからかつてソ連を撤退させたように、米国軍も撤退させることができる。 |
Eパレスチナ住民 「アメリカ軍や市民に対するテロは、アメリカの中東政策への不満の現れである」 名前(年齢) ハムザ・ムハマド(58歳)男性 プロフィール イスラエル建国直後の第一次中東戦争(1948年)により、5歳の時に住み慣れた場所を追われてヨルダン西岸に移住してきた。現在はパレスチナ自治区で食料品店を営んでいる。 ヨルダン領内の難民キャンプで暮らしている親戚もあり、そこは居住環境が悪く衛生状態も悪い。 何十年にも渡って、パレスチナ人の国の建国を望んできた。イスラエルとパレスチナの間の和平交渉がまとまっても、イスラエルの強行派が和平に反対して実現しない。イスラエル軍が先にパレスチナ人民を攻撃するので、それに対抗してイスラム過激派が報復攻撃を行うと、考える。 意見 アメリカはイスラエルの建国後、常にイスラエルを支援して軍事的肩入れを行ってきた。パレスチナ人が持つアメリカのイメージは、イスラエル軍が攻撃を仕掛ける米国製戦闘機や戦車などの軍事兵器である。 イスラエルは、数十年にも渡ってパレスチナ人の地を占領しており、パレスチナ人の土地への入植をやめようとしない。 イスラエル軍はパレスチナ住民への攻撃をやめるべきである。 イスラム過激派によるアメリカに対するテロ攻撃をやめさせるには、アメリカのイスラエルよりの中東政策を変えるなくてはならない。アメリカは、パレスチナ自治を認める和平案を早急にイスラエルが実施するように、イスラエルに対し強力に働きかける必要がある。 |
アメリカテロ事件とアフガニスタン攻撃の参考文献
佐渡龍己『テロリズムとは何か』文春新書、1990年。
片倉もとこ『イスラームの日常世界』岩波新書、1991年。
山内昌之『イスラムとアメリカ』岩波書店、1995年。
毎日新聞社外信部編著『図説世界の紛争がよくわかる本』東京書籍、1999年。
エレーン・ランドー著、松本利秋監訳『オサマ・ビンラディン』竹書房、2001年。
田中宇『タリバン』光文社新書、2001年10月9月。
黒井文太郎『イスラムのテロリスト』講談社α新書、2001年10月。
パレスチナ問題、テロの問題にせよ、日本が日常感覚からすれば”対岸の火事”のようであるのが実状な中、そこに少しでもリアリティを与えるための工夫としてのロールプレイは、やはり有益であると感じた。 抽象的、観念的に戦争問題を扱うことは、授業において非常に危険なことだと思われるが、その危険性を低減しつつ、なおかつ積極的に授業に取り上げるために、平和教育の学問的知見が求められると思う。特に教師の研修にはすぐに役立てられると感じる。 |
アフガニスタンの問題だけでなくイスラム原理主義との問題が今回のテロの背景にあり、それらをふまえたロールプレイングは高校生以上でないと難しいのではないかと感じました。 ぽんとロールプレイングだけをするのではなく、その前に何時間か中東、イスラム教などの研究授業や発表を行っておくと、上手く進められるように思います。現地と第三者の視点が違うことがよく分かりよかったです。そのことを分かって話をしなければいけないと思いました。 |
ロールプレイという方法は、偶然与えられた役割であっても、ある立場に立って発言することを通して、自分の意見を少しずつ確かめられることを再確認しました。内容は大変難しかったのですが、アメリカの空爆に反対する自分の考えがはっきりしました。 |
研究会の和やかな雰囲気がまず良かったです。 ロールプレイというのは、いろいろな意見を理解する方法として有効であると思いました。実際に今起こっている事件を取り上げて授業を行うというのは難しいことであると改めて思いました。 しかし、9月に岡山市の学校図書館(室)の見学に行ったのですが、その時、司書の方が図書室に新聞を持ち込んでおられました。「知らんまに、戦争になってたということになったらあかんもんね。ちょっとみんなには、難しいと思うけど、先生の家にある新聞を持ってきたの。」と。朝日新聞で確かに子どもには読みにくい新聞でしたが、1週間分くらい並べておられました。全部は知らなくても、全部は説明できなくても、教師の思いは伝えて行くべきだと思い、その司書の姿勢に共感を覚えました。 |