第14回の平和教育授業研究会(ペグ)の様子


テーマ
平和教育のカリキュラム化
−昔と今の戦争をどの様に教えるか−


実施日時2013年3月23日 午後1時30分〜5時30分
実施場所:F棟2階 F11教室
第14回ペグの内容 

(1)戦時中の学校教育      
(2)ワークショップ 「戦時中の教科書を用いた模擬授業」
   ○懇談:近況の交流               
(3)戦争の教え方(『平和教育を問い直す』視点から
      −平和教育の「固有性」へのこだわり−  
(4)平和教育のカリキュラムについて      
(5)振り返り  


事前配付資料から

 ○テーマ設定の理由
 平和教育の目標と課題について全体像を描きながら、平和教育を効果的に生産的に実施できるように、研究成果を積み上げカリキュラム開発を進めていくことが、平和教育授業研究の課題となっています。
 それぞれの学校現場で行われている平和教育実践をどの様に整理し(体系化し)、子どもの年齢や発達に応じて、子どもの知識や態度をどこまで育成すれば良いかを考えます。特に平和教育の中心的な題材といえる戦争を取り上げ、「昔と今の戦争をどの様に教えるか」を考えながら、平和教育カリキュラムの全体像と、戦争題材の位置づけを探ります。
 今回は、悪いと評価される日本の戦争をなぜ当時の人々が反対できなかったのか、の疑問への一つの回答を提示します。また、平和教育全体の中で、戦争題材の位置づけについて意見交流をします。


(1)戦時中の学校教育

「国のために命を捨てよ」と言われた15年戦争当時の学校教育の状況について説明しました。
京都教育大学の学びの森ミュージアムで2012年秋季特別展として開催した展示内容を紹介しました。
説明資料として、「京都・伏見の戦争と京都師範学校」(ミュージアムのパンフレット)を配布しました。

「国のために命を捨てよ」と言われた教育状況を、参会者に体感して貰うことを試みました。
まず、「師範学校と京都・伏見の戦争」を資料に、戦争に取り込まれていく過程を説明します。
平和教育は過去の戦争が悲惨であっただけをを教えるのではないといえます。なぜ戦争が起き、
それを止めることができなかったのかにも、考慮できるように子どもたちを導かなくてはならないといえます。

(2)ワークショップ
平和教育を行う教員として、第二次大戦中の日本の被害を子どもたちに教えるのではなく、
どうして当時の人々、教員や児童・生徒が戦争の遂行に賛成し協力していたかを考える必要があります。
当時の学校教育が皇国主義や軍国主義を子どもたちに教化するための道具となっていました。
それを実感するために、 「戦時中の教科書を用いた模擬授業」を50分にわたって実施しました。
模擬授業に用いたのは、戦時中に用いられた国民学校(現在の小学校)の教科書です。

                     「戦争の教え方」のパワポ資料 へのリンク


(3)戦争の教え方(『平和教育を問い直す』視点から)
      −平和教育の「固有性」へのこだわり−

 東京から来られた竹内久顕先生にお話しをお願いしました。
まず、今日の平和教育の特徴と課題をあげました。平和教育には
4つの乖離があるとします。それは、@過去の戦争と今日の戦争の乖離、A遠くの暴力と身近な暴力の乖離、B平和創造の理念と現実の乖離、Cこれまでの平和教育と新しい平和教育の乖離、の4つです。これらの乖離を埋めるのが現在の平和教育(理論と実践)の課題と言えます。
 平和教育の「包括性」と「固有性」の認識が必要。狭義の平和教育=戦争(直接的暴力)であり、広義の平和教育=貧困・差別(構造的暴力))であり、最広義の平和教育=包括的平和教育となります。
 一方で、ガルトゥング平和学によれば、暴力の定義=「ある人に対して影響力が行使された結果、彼が現実的に肉体的、精神的に実現し得たものが、彼がもつ潜在的実現可能性を下回ったとき、そこには暴力が存在する」(ガルトゥング)とされます。そこでは、平和=暴力によって奪われた潜在的実現可能性を取り戻すこと(状態、運動)と再広義に定義されてしまいます。そうなると、平和概念に非常に多くのものが内包されてしまうことになります。それゆえ、平和教育の「固有性」にこだわっていく必要があります。竹内先生によれば、固有の平和教育は、コンフリクトの非暴力的解決による平和なコミュニティ(平和的関係性)の創造を目指すことになります。
 
さらに、具体的な国語教材を使って、国語教育固有の平和教育のあり方を説明されました。


  
(4)平和教育のカリキュラムについて

 平和教育の系統化を行うための枠組みを考察した。
 参考とした資料は、 『平和な社会形成のための教育:いきいき平和学習』
     (平和教育シリーズ、No.4、2011.3)である。
 報告内容と、資料のリンク先は下記の通りです。
    1)学習目標の構成
    2)学校段階に応じた知識理解の目標
    3)平和教育の系統化
    4)平和教育の教科領域/学習領域

                         「平和教育カリキュラム」のパワポ資料 へのリンク

 時事問題の「尖閣諸島問題」の教え方についても交流しました。

 立命館宇治高校の杉浦真理先生に、「国境問題の授業」について紹介して貰いました。
 中学校三年生の社会において、国境問題を扱って生徒達に、尖閣諸島の問題を解決する方法を考えさせ、新聞社に投書する活動を展開しています。その活動をまとめて、「日中国交正常化40周年の年に国境問題を考える授業資料集」を作成されています。社会の授業を通して、平和と民主主義を考えて実践する生徒を育てたいと思っています。授業の中では、トランスセンドメソッド(ガルトゥング)の理論を応用して展開しています。方法論として、日本と中国の国益を超えて、日中両国にウィンウインの関係を樹立しようとするものです。杉浦先生は、平和教育の固有課題として、紛争解決学習の有効性については、領土問題に明らかになったと結論づけています。
 ペグへの参加者からは、中高生が尖閣問題にあまり関心を持っていないこと、尖閣諸島がどこにあるかを知らない生徒が非常に多いこと、国境問題よりも
日々の学習に興味づけることが課題となっていることが指摘されました。また、ネット右翼の言動が、一般の人々よりも極端ではないかということも指摘されました。



第14回ペグ参加者の感想

 特定の教科ごとに先生方が集まって、教材やカリキュラムを作ってみるという試みはできないでしょうか。今日の先生方の中では、国語が何人もいらっしゃったので、PEGの分科会のような形で、PEGの分科会のような形で、PEG国語班みたいなやり方ならできそうに思う。やれるところとからゲリラ的に始めてみたらどうだろう。 
 論文締め切りの直前で参加させていただき、その甲斐あっていろいろな方々と情報交換できて、大変刺激になりました。ありがとうございました。「平和教育学会」の設立を待ち望んでおります。
 平和教育の固有課題として、紛争解決学習の有効性については、領土問題に明らかになりました。一方、マスコミ、ナショナリズムをあおる勢力の強さに授業の困難さを感じる日々でもあります。今後も、このような平和教育の研究会が続くことを希望します。
 まず、今回もペグに参加さして、いろいろ教えてもらったり、人々の意見や考え方に関して聞くことができて、大変嬉しかったです。特に、今日のテーマは自分なりに非常に関心を持つものだったため、これからの平和教育研究により参考になると思います。
 戦時中の教育を1時間程度経験させていただいて大変有意義でした。このような内容で、毎日授業を受けたら「お国のため」に、戦うことが当然であるという意識になってしまうことがよく分かりました。あらためて教育の大切さを認識することができました。
 平和教育のカリキュラムや、尖閣問題をどう教えるかといったことに関心があって参加しようと思ったのですが、ここ数ヵ月間の自分の実践が、そのレベルにまで達していないことに力不足であることを痛感しており、まず目の前の子どもたちに、「社会の問題にどう向き合わせるか」と言った段階から考えていました。中学・高校の先生が多かったこともあり、その話を聞く中で、小学生の内に、まずは平和について考えることができるような意識や関心を持たせることと、基礎的な知識を持たせてやる必要があるなと思いました。そのためにも、教えっ放しにするのではなく、評価の基準についても考えていくべきかと思いました。
 平和教育のカリキュラム化ということで、教科教育の中にどのように取り組んでいくかの視点に関心を持ちました。実際の授業では、“地理”にどう関心・興味をもたせるかに力点を置くことが中心でなかなか平和教育や社会問題などを取り上げることができないでいますが、色々な物の考え方、視点を提供することは今後も努力して行きたいと思いました。
 とても刺激的で楽しく学べた会でした。普段、現場や組合にいるだけでは出会えない様々な立場の人のお話が興味深かかったです。こんな切り口があるのか、とか捉え方の違いとか。ワークショップも楽しかったです。今回強く感じたことは、戦争(時代)体験者がいなくなる時代を目前にして、「体験者至上主義」を脱却する必要があること。竹内先生のお話(文学を通して・・・のあたり)がヒントになりそうですが、形にして定着させるにはまだ時間が必要でしょう。私も体験談の持つ力は大いに信じていますが、そこに頼っているだけでは先がないと思っています。今後も色々勉強しながら実践していきたいです。
 私自身、人権教育の世界にどっぷり浸っている人なのでたまに違う分野のこういった勉強会(?)に参加すると、大変刺激になったり勉強になったりすることがあります。今日も村上先生がおっしゃっていましたが、“人権教育の分野と共通するところがある”ので、今日得た知識や情報は、また自分自身が現場で深めていきたい領域で活用できるかな、と思っています。どなたか(立命館宇治の先生?)がおっしゃてたと思うんですが、“どれだけ信念を持って伝えるか”、人権教育の分野でも同様のことが言えるので、そういった思いを再確認することができました。
 平和教育を研究されている方、実践する立場の方など多くの様々な意見が聞けて非常にためになった。「共感」ということについて、非常に難しいことで国語の時間の中でそれができるのだろうかと思っていた。実際にあった話や手記でさえ「読む」ということを通してでは共感できるのだろうかと考えていたからだ。しかし、劇などロールプレイをするときに、その文章で大丈夫か考えたりするときにあらわれるのではないかという話を聞き、そういうこともできるかもしれないと思った。
 子どもたちが戦争体験などを我がこととしてリアルに受け止められなくなっている現状では一定理解できるのですが、はたしてそれは現代の子どもたちについてそうなのか疑問です。現在の大人社会にもかかわるような気もします。また、かつての子どもたちがどれほど我がことと受け止めていたかは疑問です。しかし、反原発で人々が国会周辺に集まる現状が一方にあるのは、人々が我がことと受け止めていいることではないかと。子どもたちの現状を多面的に捉えたいです。
 竹内先生の話にもあったように、平和教育には加害体験を語ることが欠かせないと思う。しかし、今日の日本では被害意識をもつものが一定数おり、彼らが偏った考えを発信したりということを頻発している。「ネット右翼」がその好例である。そのネット右翼にも通じるところがあるように、周辺国との領土問題は喫緊の課題であるが、浅い知識のもとで自国の被害感情を前面に出してしまってはならない。「我々の領土」ではなく、周辺国と協力して「私たちの国境」という認識を育てる、ということを忘れてはならないように思う。そのため、史実やその他の背景知識を十分に持って課題に臨むことが、平和教育への第一歩ではないだろうか。
 今日は今まで知らなかった平和教育に関する知識をたくさん知ることができ、良かったなと思う反面、自分はまだまだ何も知らなかったのだと少しショックを受けました。しかし、今日のこの機会で、平和教育についてもっと知ろう知らなくてはいけないと思うようになりました。また、研究されたり、実際に教壇に立っていらっしゃる方々のお話、考えをたくさん聞くことができて本当によかったです。普段ではなかなか聞けない方々のお話を聞く機会があって、いい経験ができました。
 戦時中の教科書をつかったワークショップを通してその教材へのアプローチの仕方ひとつとっても戦前と戦後の教育の違いを知ることができました。同時の教師達の思いはどうであったのか、もっと知りたくなりました。
 いろんな立場の方から意見が聴かれてありがとうございました。聴力が弱くて聴き取りにくかったのが残念です。改めて考えさせていただきます。
 今日はどうもありがとうございました。現場で活躍されている先生方と同じイスに座って議論をしたり考えたりすることに違和感を覚えていました。普段と環境が違うからでしょうか。とても楽しく,実りある時間を過ごせたと思いますが、非常に場違いな感覚を覚えました。
 それから、平和教育の一番効果的で一番てっとり早い方法は、「異文化コミュニケーション」だと思います。face-to-faceで、お互いの間に違いがあると認識しながらもあえてその違いについて話し合うことで、「You and I」から「We」になる瞬間が訪れるのではと、思います。この変化は、大人でや容易に起こらないと思います。そしてこの変化こそが、peace makingなのだと思います。現代の子どもたちに蔓延する「無関心」ですが、これもface to face のダイアローグによって一気に解決できるのではないかと思いました。

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