西宮の慰霊碑

<慰霊塔>
 西宮最大級の墓地、満池谷墓地の脇、越水浄水場に隣接して、慰霊塔がある。
 震災後、すぐ近くに阪神・淡路大震災西宮市犠牲者追悼之碑が建立され、西宮震災記念碑公園として整備された。

       

 「慰霊塔」という文字と揮毫した大臣の名前があるだけで、説明は何もない。
 市役所に問い合わせると、西宮市遺族会により1955年に建立されたものといい、5月の第2週に慰霊祭も遺族会によって行われているという。
 行政の関与はほとんどないようだ。
 太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会の発行した「平和の祈り」の西宮市が執筆したページには
 「昭和30年4月、市内満池谷に戦没者慰霊塔が建立され、その後毎年、市の主催として戦没者合同慰霊祭を開催し、多数の遺族の方々が参列している」と記載されている。



 <慰霊塔>
  阪神鳴尾駅の西側、上鳴尾町に八幡神社がある。
  その境内にこの慰霊塔はある。

        

  このあたりは戦時中はまだ西宮市に編入されず、鳴尾村であった。
  日清戦争、日露戦争、太平洋戦争に鳴尾村から出征して戦死した約500人の「英霊」を祀るという趣旨が書かれた札が立っている。
  それによると、塔は、軍縮条約によって廃棄された戦艦「安芸」の大砲の砲身を利用したとのことである。

        



 <殉国碑>
 JR西宮駅の北側にある殉国碑は、 1953年に芦原管理委員会によって建てられた。
 1961年に芦原協議会によって増改築されている。

       

 この碑には、芦原地域の戦死者一人ひとりの名前が刻まれている。

       

 この碑の特徴としては、戦死者だけでなく、戦災死者の名前が刻まれていることがあげられる。

2007.6.15.

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