アメリカでのテロとアフガニスタン攻撃のロールプレイ

(「国際理解教育論」2001年度後期受講生 A.K.さんのレポート)

 私は今回、国際理解教育論の授業の中で、いろいろな授業を受けました。実際に外国の人たちに会って話をすることなどは、とても印象に残っていることではあるのですが、中でも私が一番印象に残っているのは、ニューヨークの爆弾テロ事件にまつわるロールプレイです。
 授業に行って、はじめに先生から「今日は、爆弾テロ事件に関するロールプレイをみなさんにしてもらいます。」と説明を受けた時、「えっ。また、難しいことをするなあ。」と内心思っていました。なぜなら、私はアフガニスタン関係のニュースはあまり見るのが好きではなく、日常でもなんとなく避けてしまう事柄だったからです。
 爆弾テロ事件をはじめに知ったのは、テレビを見ていた時に画面が変わって急に始まったニュース番組からでした。私は衝撃を受け、そのまま朝まで同じことを繰り返し伝えるニュースを見続けました。そのうち、あの事件はアフガニスタンのテロ組織が起こした爆弾テロ事件だということになり、『報復』という名の戦争が始まりました。私はなぜ、アメリカが国をあげて仕返しをするのか理解できませんでした。自分たちの国の罪もない人々が命を奪われたのと同じことをすることにどんな意味があるのか私には考え付かなかったからです。考えたところでアメリカが攻撃をやめるわけでもないし、アメリカ人の気持ちもテロを起こした人たちの気持ちも分からないと思ったから、その話題を考えないようにしていたのかもしれません。私は、テレビでアメリカの大統領や政治家たちが演説しているのを聞きたくないと自然に思うようになりました。
 授業でのロールプレイは心の準備をする間もなく、いきなり始まりました。役割は全部で6つ、アメリカの海兵隊、ニューヨーク市民、パレスチナ人、アフガニスタンのタリバン兵、日本の教師、日本の中学生でした。私が一番はじめに引いたのは、日本の教師でした。その教師について書かれていることを読むと、私自身が持っていた考えとほとんど似ているものでした。「爆弾テロは多くの罪もない人たちの命を奪ったものであり、決して許されるものではないが、それに対してアメリカがアフガニスタンを攻撃するのは同じように罪のない市民を巻き込むものであるので反対。報復は報復しか生まない。攻撃という形でテロに対抗するのではなくもっと他の方法を探すべきである。そして、日本がしなくてはならない支援は、アフガニスタンで住むところや食糧を失って苦しんでいる人々を助けることである。」といったような内容だったと思います。
 私は役割の意見が自分自身の意見と同じだったし、アメリカの矛盾点(自分の国の一般市民が殺されたことへの報復が、憎い敵であるテロ組織と同じように罪もない市民を巻き込むという行為であるという矛盾)を攻めようと考えていたので、意見を強く述べました。意見を述べている時は役割が私自身の意見と同じなので、それ以外の考えなども浮かばずに、「これ以外のどんな意見が正しいというのだろう」というふうに感じていましたが、アメリカの海兵隊の人の意見を聞いて少し考えが揺れました。その人は「攻撃をするのは、早く犯人を捕らえてテロの危険から国民を牢りたいからだ。現在も、いつまたテロの標的にされるか分からない状態にある。国民を早く危険から守るためには時間のかかる調査をしているわけにはいかない。」といいました。私は、アメリカの行為は、アメリカ人的な性格もあって、ただ怒りにまかせて「仕返しをしてやらないと気がすまないんだ」といった感情で攻撃へとことが進んだイメージでしたが(今考えると偏見ですが)、アメリカの海兵隊の人の意見を聞くと自分の国の国民を優先して守ろうとするのも最もかもしれないと思いました。
 次に私が当たった役割はアフガニスタンのタリバン兵士でした。私には中東問題に関する知識がなかったため、資料を読んでからロールプレイに入ったもののなかなか意見をまとめるのが難しく、タリバン兵士の気持ちなんて宗教観のうすい日本人の私にはわからないと思いました。でも、ロールプレイを進めていくうちにだんだんとタリバン兵士としてアメリカを非難している自分がいました。イスラム教を厚く信仰しているからといって危険なわけじやないし、むやみやたらにアメリカを憎んでいるわけでもない。それなりの理由はあるのだろう。この兵士だって、貧しいながらも周りのみんなに助けられて生きてきている。そんな自分の国を守りたいと思うのは当然であるし、自分たちの国が追いやられている原因をつくるアメリカを憎む気持ちは分からないことではないと思いました。だからと言って、テロは決して使ってはならない手段であるとは思いますが、何の考えずにアフガニスタンをただの悪者にするのはよくないと思いました。アメリカの権力によって、抑えつけられている国があるのも確かであるし、それによって争いが押さえられ、戦争が起こらなくて済んでいる国があるという場合もあるのだと思いました。
 私がこの授業が一番印象に残った理由は、理解できない、想像もつかないと思っていた人の考えに自分なりに近づくことができたからだと思います。今回、ロールプレイをしたからといってその人たちの本当の気持ちが理解できたとは思いません。当事者にしか分からない怒りや悲しみや心の痛みがあると思います。「誰が本当に正しいのか」だけでは片付けられないような複難な問題です。タリバン兵士の気持ちを考えて、その立場に立って意見を述べたからといっても、所詮は平和ボケした日本人が考えた意見です。でも、今回の授業でロールプレイをしていなかったら、私は「宗教はわからない。洗脳されると何するかわからないな。」「アメリカは気性が激しいから怖い。」くらいのレベルでしかこの問題について考えることはなかったでしょう。どんなことであっても、考えても無駄と頭から決め付けて考えようとしないことはよくないことだと思いました。何事にも自分なりの意見というものをしっかり持っていたいと思いました。