第11回の平和教育授業研究会(ペグ)の様子


テーマ:戦争被害と加害を現在の問題につなげる平和学習


実施日時2010年3月20日 午後1時30分〜5時30分
実施場所:F棟1階 F11教室
第11回ペグの内容 

(1)はじめに
(2)プレゼン
(3)報告「戦争を伝える教育」についての報告
   報告 ストーリテリング
(4)雑談:各自の平和教育実践交流「平和教育に関して」
(5)戦争を伝える ロールプレイ
(6)振り返り
(7)連絡事項




<テーマについて>
 平和教育の重要な目的の一つが、過去の戦争を知ることと、現在の問題の理解とを結びつけることです。子どもたちが過去の戦争について知ることを通じて、現在の国際問題の理解を深め、これからの「平和で民主的な社会および国家の形成者」になることが期待されています。過去の戦争についての学習では、戦争の被害と同時に加害を学ぶことにより、軍事による紛争解決の危険性を知り、市民の側から戦争を防ぎ平和な社会を形成する力を育てることを目指します。

 ワークショップでは、戦争体験を継承するための方法について、戦争被害と加害を伝える難しさを参加型手法で理解します。過去の戦争を教えるにはどうすればよいか、その教育内容と教育方法について提言しました。研究会では、平和教育のあり方ついて、参加者で意見を活発に交流しました。
<報告内容>

1)村上
戦争を伝える平和教育は、どのように子どもたち(また学生たち)に関心を持ってもらうかが問われています。京都教育大学のキャンパスは、元歩兵第9連隊跡地であり、伏見区自体が軍都伏見として多くの陸軍基地がありました。京都師範学校で、戦時どのような訓話がなされ、学徒動員された生徒が舞鶴空襲により軍需工場で9人が死亡したこと、師範学校女子部附属小学校の児童が学童疎開した話などを地域教材として提示しました。
 参加者による参加型学習として、ロールプレイで「過去の戦争を今につなぐ」方法を学習テーマとしました。子どもも親も教師も、みんな戦後生まれとなり戦争の記憶は1年ごとに遠くなっています。それをどのように学校教育の中で伝えていけば効果的か、またどのような課題があるかを、悲惨さを伝えたい戦争体験者と、中国人の視点を取り入れることにより、双方向の視点から学習しました。
前のペグ第10回の感想からの示唆に基づき、今回は参加者の意見交換が少し多くなるように配慮しました。

2)高見さん(小学校教員):テーマ「加害性を意識した平和教育」というテーマで報告いただいきました。
2009年度の小学校4年生へのとりくみとして、年間のいくつかの時期に平和の題材を扱うことができること、それに加害の問題をかれめることができることを示されました。例えば、沖縄本土復帰、沖縄戦終結、日米開戦、東京大空襲などです。
教材として「6人の男たち」(下に高見さんのレジメの中に掲載)を用いて、子どもたちに戦争をいつ止めることが出来るかを主体的に考えさせる授業方法を提示されました。そして、憲法9条を子どもたちに自分の言葉で理解させるワークシートを提示されました。

3)京都教育大学院生:テーマ「日韓歴史教科書対話−ドイツ・ポーランド歴史教科書対話を参考にして」
国際教科書対話の先進国のドイツの例を参考に、現在までの日韓の歴史教科書対話の実態を概説し、京都教育大学の学生に対する日韓歴史教科書対話の認知度の調査結果を報告しました。それらを元に今後の教科書対話のあり方として、市民が歴史問題に関心を持たなければ、日韓の歴史教科書対話に対する支持・関心を得られないこと、民間が中心となって活動している場合は、なおさら市民による広い支持が必要となるとまとめました。

4)元小学校教員によりストーリーテリングを実演していただきました。題材は朽木祥作「彼岸花はきつねのかんざし」で、著者の朽木さんに許可をいただき、あらすじをまとめ、6年生の総合学習の時に子どもたちの前でお話をされました。その経験を元に、20分弱のお話をペグの参加者に対してストリーテリングとして提示されました。参加者の多くは、読み聞かせではなく、平和題材をストーリーテリングとして聞くのは初めてで、平和教育の方法の一つとして貴重な体験をすることができました。


当日の資料

村上まとめ資料(pdfファイル
高見さんのレジメ(pdfファイル)


第11回ペグ参加者の感想

若い人から出てくる話は、私にとっては新鮮で、へだたりは感じるもののそれを埋める努力が、これからやらねばならないことだと思います。古い話は、昔のことではなく又繰り返されようとしているのだという視点が大切なのではないかと このごろ考えるようになりました。つらい話をたくさんして、ああそんな時代に生まれなくてよかったとの感想で終わると何の進展もないわけですから、そのことを今に生かして話すことが大切なのではと思います。
このような集会があるだけでも貴重の機会であると思います。関西でも東京の研究会のようなある程度定期的な会合があるといいのではと思うこともありますが少し時期尚早でしょうか。
平和教育「学」としての成立も上のことに関わるテーマと思います。またご教示下さいますようお願い致します。
収穫として、両親の戦争体験を必ず聞こうと決意したこと。
戦争体験者はどういうプロセス(体験)を経て語り部となるかをぜひ調べてみたいと考えたこと。
「戦争」というカテゴリーなしには、平和教育は成立しないのかを今回意識しました。
言葉の暴力性について認識しつつ国語教育を実践すべし。
今回は貴重な時間をいただき、報告させていただき、よい経験になりました。ただ、再考の余地があるなあと改めて感じました。交流の時間が、前回より多くありよかったなあと思いました。前回お顔を見た方が何人かおられ、それぞれの場所でがんばっておられるのだと親しみを感じました。私も少しずつでも、自分のおかれた場所と条件の下で、やっていきたいと思いました。
今まで参加させていただいた会の内容とは、違う内容や方法であったので、また違う気持ちで受けることができました。
この1年、学生の時ほど平和について考える時間が少なかったこともそうさせたのだと思いますが・・・
 私と同世代の教師(友達の多くがやっています)が、どれくらいの意識を持って、毎日子どもと向き合っているのかなと心配になる部分もありました。高見さんの発表を聞いていると、特に感じました。
 やらなければならないことがたくさんある、学校の中で、意識だけでもあるのかなあと・・・
今回は参加者の方と交流の時間が多くて、いろんな分野のお話が聞けて、充実した時間でした。研究会というのはある意味出会いの場だと思うのでこれから、もっと自分の意見を積極的で話して議論していくことができるようにがんばりたいです。
 自分の発表は、いいたいことがあまりいえなくて、わかりにくかったのであまり伝わらなかったのではないかと思います。
軍事施設の跡地に教育大学がつくられたというのは、何か戦後の日本の学校教育を考えると暗示的だなあと思いました。
 「戦争について」伝えることが平和教育のメインではないとやっぱり思います。必要であることは今日のロールプレイで再認識しましたが。
久しぶりのPEGでしたが、顔見知りの方を含め様々な方の話が聞けてよかったです。ロールプレイの後の話など最初からテーマが設定されていないところで入りいろと話ができたのがよかったです。その時間確保のために「報告」がもう少し短くてもいいのではないかと思います。
いろいろな考えいろいろな方法で平和教育はできるのだと思います。けれど、目の前にいる子どものニーズや声に耳をかたむけず、自分の思いだけで教育してしまったら、それこそマインドコントロールになってしまうと思います。それは平和教育ではなく、教育すべてにおいていえるのだと思いますが・・・。
 大切なことはまだわかりませんが、子どもの心に少しでも残ればそれはいい授業になるのだと思います。とても有意義なものでした。
いつもお世話になっています。毎年「振り返り」をするよい機会を与えていただいており感謝しております。
inputは時々出来ているのですが、outputはなかなか出来ません。これからはoutputにも気をつけながら、より多くinputいして知識や情報を増やしてゆきたいと思っています。現在の週1回という授業の中でそのようなoutputが出来るのかが現在最も気になっているところです。今後ともこのような「振り返り」をする機会を与え続けて下さることを望みます。

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